南相馬市の状況(その7)

昨日、南相馬市の住民意向調査結果(速報)が発表されました。
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-4/ikoucyousa/20131101_ikouchousa_sokuhouminamisouma.pdf
避難指示解除準備区域、居住制限区域及び帰還困難区域の全世帯が対象となっているため、12800人ほどの人口のあった小高区(旧小高町)の方々の現時点での意向にほぼ近い内容と考えられます。今回はこの結果をもとに、少し先の南相馬市の復旧・復興の様子を考えてみます。
この結果によると、半数を超える方が同じ南相馬市の原町区(30%)と鹿島区(24%)に避難していて、年齢があがるほど現時点で戻ることを決めています。しかし現時点で戻らないと決めている方(全体の26%。最も多いのは「現時点でまだ判断がつかない」とする44%)の35%が原町区に、8%が鹿島区にそのまま住み続けるか転居すると答えています。

一方、南相馬市全体でみると、(その6)からさらに約半年が経過した2013年10月31日時点で市内に居住する方は約51300人(=a)と少し増加しました(半年前は50100人)。市外に避難している方は約15000人(=b)と、約1400人減少していますが、うち400人ほどだけが計算上は市内の人口回復につながったことになります(これまでの死亡が2700人、転出が7000人)。「平成23年3月11日に南相馬市民だった方で平成25年10月31日時点で市内に居住する方(=c)」と「平成25年10月31日現在の居住者数(=d)」との差がまた増えて約4600人(前回は約3700人)となっているため、避難者が市内に戻って人口が回復しているというよりも、新たな市民が増えて人口が回復しているようにみえます。
いまだ南相馬市からの避難者が千人を超えているのは、お隣の相馬市(1598人)、福島市(1490人)、仙台市(1162人)です。

このように、帰還(や断念や保留)の動きは複雑です。避難者が減ってもそれほど市内の人口回復につながらず、今後、「仮の町」の受け入れ等でいくらか新たな市民が(一時的に)増えたり、小高区の避難者が帰還できるようになっていくにつれ人口回復が見込まれます。しかし小高区の避難者は市内の原町区や鹿島区に多く暮らしているため、小高区への帰還がはじまったあとの南相馬市としての人口回復は緩やかと考えられます。
[11/13追記:昨日南相馬市は、避難指示解除準備区域と居住制限区域の避難指示の解除目標を2016年4月にすることを市議会と地元住民に説明した、と福島民友が報じました。2年ほど遅くなっているのは除染の遅れなどが原因とされます。]

今年は2月上旬、4月下旬、8月上旬、10月上旬に南相馬市におじゃましました。8月28日の記事「八戸からいわきまで」で表現したように、ほんの少しずつですが、南相馬においても「復旧・復興の状況そのものも重要であるとは前置きしつつ、被災前の現実や復興後の地域運営も含めて同時進行的に復旧・復興を考えなければならない状況も具体的に見えてきている」と感じます。

(その6)

[参考]本ブログの東日本大震災復興計画・復興事業「★統合ファイル