復興文化論 日本的創造の系譜

「破壊や災厄はしばしば取り返しのつかないほど巨大な変更を文化にもたらす。しかし、不可逆的な遷移のなかでも、破局に向けて一直線に雪崩れ込んでいくのではなく、復興期や<戦後>という窪地のなかで自分たちの文化的財産をシャッフルし、そこに新しい生命を吹き込む−こうした安息と創造の時間帯が日本文化には確かに存在していた」との観点から、古代から現代に至る日本の復興文化を論じたこの本。10月31日に出版された(青土社)ばかりですが、中国文学の専門家であり文芸批評家の福嶋亮大氏によって書かれた本書は冒険的かつ刺激的です。
特に、国家滅亡の経験を何度ももつ中国と比較したとき、日本の復興にみられる文化的特徴が「もっぱら、国家や社会より小さなもの(個人)か、あるいは逆に国家や社会より大きなもの(生態系や資本主義)に求められた」(p392)ことにあるなどとしつつ、「その「立ち直り」の哲学の手がかりは日本の復興文化の歴史のなかにふんだんに含まれている」(p20)として日中の文学を読み解いています。
中上健次の描く紀州新宮を舞台とする作品では南海大地震の記録が「「正史」以上のリアリティを帯びて」(p141)物語として語られているとするなど、過去の災害と復興を読み解く手がかりがふんだんに織り込まれています。
東日本大震災から2年8か月という今の時点が歴史の中でどのような時点なのか、私たちにはまったく見当もつきません。いつの時代もその只中ではそうだったとはいえ、「復興期においてたびたびイノベーションを引き起こしてきた歴史それ自体が、日本の文化活動の一段深いところにある動力であり、かつ現代的な価値を所有するものだと私は言いたいのである」(p409)とする1981年生まれの作者の気迫に希望を感じます。

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その他、同第59話(カタストロフィー)、93話(レジリエンス)、51話(戦災復興仙台など)、61話(戦災復興横浜)、21話(東日本大震災からの漁村復興)