1914年6月28日

100年前の明日の「サラエボ事件」が引き金となりはじまった第一次世界大戦。これを契機に、かつての帝国が解体されて多くの国ができ、それがさらに分裂したり再編したり。国は変わらなくても体制が崩壊したり仕組みが大きくかわったり。たった百年で、世界は大変動しました。
その一方で都市という存在は、移りゆく国の名称や体制の変化を、ずっと一ヶ所でみている(実際にはそうした変動にも適応しながら進化していく)生き証人のような存在のように思えます。そこにはそうした歴史が、街割りや建物、記念碑などの形で堆積して、独特な文化・環境を形づくっています。
昨日のゼミでは、S君が長く住んでいたデュッセルドルフが話題に。100年前ではありませんが、200年ほど前のナポレオンの都市計画が現在の都市の顔となっているとのこと。驚きの美しさです。その頃、どこまで計画しようとしたのか、何をめざしてそうしたのか、誰がデザインしたのか。ナポレオンが去ったあと、地元でのナポレオン評価はどうなのか?などなど興味は尽きません。この100年に限っても、デュッセルドルフ第二次世界大戦では「集中的な爆撃を受け、町の半分以上の建物が破壊された」とされます。たとえばその復興の際、ナポレオンの都市計画はどのように扱われたのか。そもそも、復興は何をめざしてなされたのか?
ミラノの都市計画の基礎となったナポレオン1世の都市調整図(1807)を分析した道満(建築学会大会梗概集2003、7018)は、「ナポレオン1世は時代にかかわらず耐えうることの出来る、都市計画案を提示していた」と結論づけています。