『POLITICS OF URBANISM : Seeing like a city』

WARREN MAGNUSSON著、Routledge,2011刊。
ベルリンの壁崩壊後の「都市」の重大な意味を、国家(state)との関係で読み解いた一見難解な書。たいへん読む気になりにくい、英語がぎっしりと並ぶ、図も表も1つもない図書です。とてもきちんと理解できたとはいえませんが、副題にあらわれる著者の視点に共感できるものがあり、あえて2014.11.9の記事とします。
結びにこんなエピソードが書かれています。著者はカナダのビクトリア大学の政治学教授なのですが、教え子に呼ばれてウズベキスタンサマルカンドに講演に行った際、皆と道を歩いていて、あわやそこに掘られた穴に落ちそうになったと。しかし幸いなことに隣の人に支えられ穴に落ちずに済みました。ここからがおもしろいところで、この政治学者は考えます。国家がしっかりしていれば一般には(西欧的政治学からすれば)道の真ん中にこんな穴はないはずだが、この都市には穴があり、隣人に支えられて落ちずにすんだ。そうなのだ。都市(urbanism)というのはこのように、国家がどうあれ(崩壊していても、体制が変わってしまっても、、)、皆が集まることで安全性を高め、少しでも良い生活をしようと努力し合い、時として助け合い、常に進行形であり制度化されてはいないけれども自分たちなりの政府(self-government)をつくってなんとかやっていこうとするものなのだと。[かなり意訳]
穴に落ちそうにはならなかったものの、自分自身もモンゴルのウランバートルに行った際、かなり近い経験をしました。
これはなにもベルリンの壁崩壊後ソ連が崩壊してウズベキスタンもモンゴルも資本主義に移行する混乱状態のため道路に穴ボコができたといったことを言いたいわけではありません。
むしろ、ベルリンの壁崩壊後の資本主義という社会システムにおいて、錯乱のニューヨーク状態であれ穴ボコだらけの道路であれ、いずれも人々が都市に住まおうとすること、その都市が国際競争の中心地であること、そしてそれら都市同士は国(state)を介さずにグローバルなネットワークとしてつながり合うようになったこと、同じような仕組みが強くすべての都市に影響していること、そのような都市生活を良くするためには、それぞれの都市が、それぞれの置かれた状況を踏まえて、自発的・組織的・意識的に努力を積み上げていかなければならないこと、あるいはそのような見方をもっと積極的にすべきことを著者はテーマにしていると読み取りました。これをベルリンの壁崩壊後25年と結びつけるのは私の勝手な見立てですが、都市をめぐるローカルな課題がグローバルな同時代的課題でもあることを意識することが、ベルリンの壁崩壊後の都市や社会を理解しうまくつきあっていくための秘訣なのかもしれません。

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・「1914年6月28日」(都市イノベーション2020 第34話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140627/1403841656