20世紀のニュータウンを21世紀につなげる視点

昨晩、第99回港北ニュータウン研究会が開催されました。
第一部は千里ニュータウンからのゲストスピーカーO氏の講演。第二部がいつもの港北ニュータウン研究会です。
千里ニュータウンでは10年ほど前まで「オールドタウン」化がどんどん進行していたものの、ここ10年は建替えが活発化。一部敷地を民間に売却して新しいマンションが増えることで人口も増加に転じ児童数もV字回復へ。現時点で、およそ半分が建替えられたとのことでした。
「もしニュータウンが全部建替えられたらそれはあいかわらず「ニュータウン」なのだろうか?」
などとまた自問がはじまります。
「あのエジンバラの「ニュータウン」は当時はいわゆるピカピカのニュータウンだったものが、今や、「オールドタウン+ニュータウン=世界遺産エリア」となった。つまり、名称は確かに「ニュータウン」だが、今は「あのときつくった「ニュータウン」というエリアをそこを示す呼び名として「ニュータウン」と言っている」のだろう。従って、千里の場合も“ピカピカの”ニュータウンから、そこのエリアの呼び名としてのニュータウンへと変わっていくのではないか」

しかしそのようなその場しのぎの解釈は、第二部の最後に提案された研究会代表K先生の次の構想で吹き飛びました。
鶴見川流域の緑環境計画の視点で、港北ニュータウングリーンマトリックスシステムを多摩ニュータウンまで、連続すると、如何なる地域が創造されるかの思考実験研究を行ってみたらどうか」、と。別紙にはK先生の手によって描かれた、西は橋本から東はひよし(なぜかひらがなになっている)付近までの自然地形図。

これまで、「ニュータウン」や「既存の町を拡張した拡張都市」などの概念には馴染んでいましたが、そこに示されたビジョンは、ニュータウンが周りにつながっていく21世紀の地域環境ビジョンでした。
ふと、『都市計画』第129号(1983.12)の「ニュータウン開発の大都市対策としての位置づけ」という川上秀光先生の論説を思い出しました。視点も異なり、こちらのほうは多摩ニュータウンを地域の要とみているので主旨も異なるのですが、ニュータウンだけを見るのでなく、スーパーリージョンとしての「近郊整備地域」のありさまやあり方について議論した、とても骨太な論説です。
「20世紀のニュータウンを21世紀につなげる視点」をもっと議論しなければ、、、

第100回港北ニュータウン研究会の日程も決まりました。2015年9月19日(土曜日)です。