ドバイ開墾(1):世界の要

これまでのどの都市ともそのつくられかたが異なる世界都市ドバイ。
その不思議な世界がずいぶん前から気になり、「ドバイ」と名のつく図書や論文をいくらか集めたものの、読まずに積んでありました。本ブログではじめて「ドバイ」というキーワードが出てくるのは2013年のことで、「本日6月4日より羽田からドバイ便が毎日飛ぶようになり、すぐそこにドバイが近づいたような気がします。ドバイから東京都心にもアクセスしやすくなったはず。」と書いています。
けれども決定的に「ドバイに行かなければ」と思い始めたのは、次の2013年6月25日の記事でとりあげた図書『A HISTORY OF FUTURE CITIES』(⇒関連記事)のなかで、「20世紀終盤から21世紀初頭に頭角を現したドバイは「西洋化」ではなく当初より「世界化」をめざす未来都市モデルとして現在急成長中。その実像が語られます。」と内容を解説したのがきっかけでした。
それは実際にはどういうところなのか。なぜドバイだけがそのような都市なのか。何によってそれは成り立っているのかを見てみないと、、、

早朝に到着したドバイ空港で直接ドバイに降りる客は、その日、感覚的には5%もいなかったのではと思います。「ハブ空港」とはこういうものなのかと。「たった2機で1985年にはじめた」エミレーツ航空の大躍進などで、ドバイ空港は昨年、国際旅客数でロンドンのヒースロー空港を抜いて世界一になりました。
ドバイには、「世界の要」というキーワードがぴったりきます。地球儀をみると、このあたりは本当に「世界の要」です。
フリートレードゾーンなどの相当思いきった政策によって、世界中の企業が立地し、その家族が暮らします。世界を驚愕させるさまざまなビッグプロジェクトの建設作業員や関係者、ヨーロッパなどからインドやパキスタンなどの母国に戻らずJターンの地として選択する人々などにより、1975年に10万人台だった人口が、40年後の現在、220万人ほどに(隣接するシャールジャを合わせると300万人)。
このような「世界の要」としての特長はいつから発揮されていたのかさかのぼると、そもそも都市として発生した当初からだったようにみえます。ヨーロッパとアジアとアフリカの要に位置し、アラブ世界の新しいビジネスやライフスタイルの拠点として政治的にも治安の面でも安定した場所を提供できてきたことがそのベースとなり、そうした「ハブ」性を最大限発揮しようとの政治・政策がドバイ発展の原動力です。

[関連記事]
・A HISTORY OF FUTURE CITIES (都市イノベーション読本 第100話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130625/1372127319

[参考] 「【コンセプトノート】都市イノベーション」(Blog内統合ファイル)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141110/1415588957