砂村新左衛門

昨日の日経新聞文化欄に、「開拓魂 江戸の発展支える」と題する記事が紹介されました。東京江東区の砂町、横浜の吉田新田、横須賀の内川新田(これは今まで知らなかった)の開発に携わった「江戸の名デベロッパー」との書き出しに強く引きつけられ、普段は読まないこの欄をじっくり読むことに。
最も興味深かったのは、2つめのゴシックの見出し「民活の手法を採用」の部分でした。
砂村新田の開拓には余剰資金を持っていた大名や旗本も出資している。幕府が直接開拓するわけではなく「民活」の手法が採られたわけだ」
「旗本は幕府が財産形成のため投資を勧めたと思われる」
のような記述があり、たとえば『江戸と江戸城』(SD選書4、鹿島出版会、1966)にこうした視点があったかどうかを確かめてみましたが、たとえば江戸の基盤整備を担当した「普請方」の行政機構としての説明はありますが、さすがに「デベロッパー」「財産形成」のような思い切った現代用語による解説は出てきません。では、横浜(横濱)ではどうかと『港町 横浜の都市形成史』(横浜市企画調整局、1981)で吉田新田の解説を確認する(p12)と、吉田勘兵衛が幕府から「許可され」工事の「金主は金本と総仲間の2本立てになっており」となっていて、「デベロッパー」らしき用語や、ここでは砂村新左衛門は工事を担当したことや、最終的に開拓できた土地(最初の工事は豪雨にやられて失敗)がどのような所有の途をたどったかなどが少し解説されています。
まさに「都市イノベーション開墾」!?

本日はちょうど午前の授業でハワードによるレッチワース建設をデベロッパー的視点でとりあげたところで、昨日は「横浜プランナーズネットワーク」のイベント(実際にはそのあとの懇親会)で、ヨコハマ市民まち普請事業が最近はじめた企業連携の取組みについて担当のNさんから話を聞いたところでした。(以下が市のHPに出ている関連記事)
http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/seisaku/chousa/kihou/177/kihou177-080.pdf

砂村新左衛門の記事のしめくくりで著者の溝手氏は、新左衛門が生前に残した文書はほとんど残っていないとしつつ、「遺訓」にある以下の言葉を紹介しています。
「田畑が無ければ何事も成らない」