八戸からいわきまで・2016春(その3) [=「浜通り地域の復興の現状(その5)」]

2013.8.28の「八戸からいわきまで」において第四の区域とした原発被災区域が今回(その3)のテーマです。テーマに入る前に、東京電力管内発電所リストをもとに、「3.11」前後の電力需給を比較します。ごくごく大雑把にみると、「3.11」の前に6000万キロワットだった電力消費は震災後には5000万キロワットほどで推移。一方、震災前に1620万キロワットだった原子力発電(うち福島が900(第一460、第二440))はゼロになっていますが、火力で610万、水力で130万の計740万キロワットが増強されたため、{(6000-5000)+740}-1620=120となり、需給面ではトントン、という状態です。ちなみに増強された火力610万の内訳は、横須賀227万(柏崎原発が動き出したため停止していたものを復活)、川崎50万、千葉150万、茨城鹿島126万、福島広野60万です。

結果からみれば電力面では「なんとかなっている」わけですが、福島第一の「460」がもたらした被害はあまりに大きく、5年後の時点でも「復旧」さえできない地域も多く含みます。それでも再生に向けた取り組みの構造と状況をとらえることは重要と考え、(その1)(その2)と合わせて理解できるように書き留めることにしました。

まず、津波被災地の復興を象徴する「嵩上げ」や「高台移転」を、「被災の原因となった要因をできるだけ取り除き、それが無理な場合においても、今後その要因による被害が可能な限り減じられるよう計画的に対処すること」とし、原発被災地域でこれに相当することをあえてあげるとすると、原発を廃止するとともに、まき散らしてしまった放射性物質をできる限り除去(=除染)して、もし帰還を長期間あきらめる場合には代替居住地を確保することといえます。現状をできるだけリアルに書き留めます。これが第一点。
しかしながら悩ましいのは、この地域の雇用や財政がその廃止される原発に大きく依存して成り立っていたことを踏まえると、除染に伴う雇用が一時的に、あるいは廃炉作業関連雇用がかなり長期にわたり継続すると予想されるものの、では、そもそもどうやって暮らしていくかを考えなければなりません。これが第二点。
とはいえ、既に避難も5年の長期に及ぶため、生活の準備が最低限整ったところから順次、最後に残されたJR常磐線区間の復旧も合わせて、できるだけ円滑に故郷に戻り落ち着いた生活を取り戻す必要に迫られています。これが第三点。
あまりに大きなテーマであるため、ここでは、3月と4月の(その1)(その2)に議論のレベルをできるだけ合わせ、第一点を中心とし、それに第二第三の点が関連するよう書き留めます。

第一の点。「被災の原因となった要因をできるだけ取り除く」ために除染作業が進み、その結果である除染の結果出た土壌等を入れる袋の山が地域の各地に大量に並べられ、それはどんどん増加しています。中間貯蔵施設の計画容量をおよそ2400万㎥、袋をおよそ1㎥とみると、2400万袋。南相馬市を例にあげると現在48ヶ所の仮置き場に100万袋以上保管してあり、最終的には200万袋に達するといわれています。その2400万㎥の除去土壌等を集める中間貯蔵施設を福島第一原発の周りに確保しようと計画しているのですが、2365人の地権者のうちまだ113人(35ヘクタール)と契約できただけで、これは計画面積の2.2%にとどまります。次に除染作業員の数はピーク時で1日30000人と言われているので仮に年間200日作業したとし4年間除染を続けると2400万人・日となり2400万袋に近い数になるので、およそ1人の作業員がまる1日の作業で1袋分の汚染土壌等を削り取り、それを3万人で4年間続けるくらいの量とイメージすることにします。その3万人の作業員があちこちに「民宿」「ホテル」「社員寮」などの新築を伴いつつ居住していて、4年ほど前に避難が解除され被災前の4割ほどの2300人が帰還した広野町では作業員が3000人と住民より多かったり、南相馬市でも「1万人はいる」との話もあり、除染以外の廃炉作業員等も含めると、相当な方が一時的に地域で暮らしています。

 除染の成果も踏まえて、5月13日には、南相馬市小高区(旧小高町)の避難指示を7月1日に解除する方針を国が示しました。市としては住民の意見を聞きながら判断するとして、現在、説明会が開催されています。解除となれば、5年間人口「ゼロ」となっていた小高区に住民が徐々に戻り始めることになります。小さな店舗や病院、医院、新聞店、鮨店なども再開しはじめ、昨年8月からはじめた「準備宿泊」には657世帯1934名が申請。仮に7月1日に解除となればJRも小高駅まで運転再開、本年12月になると山下駅坂本駅等が新しい場所で再開されて、通しで仙台まで電車で行けるようになります。[6/7追記:このあと避難指示解除日は7/12と決まり、JR小高駅までの復旧も7/12となりました。]
 JR常磐線の復旧は小高駅に続いて、2017年春にはその先の浪江まで、2017年中には南側区間竜田駅(楢葉町)止まりのものが富岡まで再開、そして残る富岡−浪江間は「2019年度末まで」に再開すると、この春、発表されました。
 その“南側の”特にいわき市との結びつきが強い楢葉町広野町の近況も少し書き留めます。楢葉町は2015.9.5に避難指示が解除され、それから約8か月が経過しました。2016.3.31(約7か月後)の人口は556人で、「帰還率」7.5%ほどです。この時点でいわき市に避難している方は5342人。まだ1対10の割合です。現在、竜田駅国道6号線の間に「コンパクトタウン」による復興事業が進みます。広野町は2012.3.31に避難指示が解除されてから4年以上経ちますが「帰還率」は40%ほどです。広野町の方々も多くがいわき市に避難していましたが、楢葉町に先行して徐々に故郷に還りつつあります。駅前(海側)の整備が進み、オフィスビルがこの春に開業。さまざまな復興事業が進みます。まだ住民がほとんど戻っていない2011年11月に訪ねたときには「山側から市街地を通り流れ落ちる水の音だけが聞こえていました。」とした広野の町も、たとえば田植えが行われたり自宅付近の畑で農作業をしている方がいるなど、休日でも「人の気配」が感じられるようになりました。

 最後に、拠点都市の役割を記します。都市規模から考えると、仙台という強力な中心がある中で2016年12月に常磐線が仙台から相馬・原ノ町を経て小高までつながるようになると、北側のエリアではしばらくの間、背後に仙台を控えながら原ノ町という拠点都市のもつ力を資源として小高や浪江が少しずつ再生していく、という姿がイメージできます。一方、いわき市という避難先の力を資源としながら、広野や楢葉は今後もじわじわと再生に向かい、それが富岡につながっていく。「運転再開を2019年度末までに目指す」とされる常磐線沿線の残りの区間(大熊町双葉町)の再生準備(計画検討)も既にはじまっていて、2020年3月末までには、地域再生に向けた芽が見えてくるものと思います。