「科学だけで決められない問題の啓蒙について」(UP2016.5号、泊次郎著)

この1年ほどの間に出版された『南海トラフ地震』(岩波新書2016)、『首都直下地震』(同)、『富士山大噴火』(徳間書店2015)をとりあげながら、「科学だけで決められない問題」への専門家の向き合い方について考察したこの書評が気になりとりあえず積んでおいたものを、熊本地震がらみで思い出しました。
泊氏は前の2つの新書は「科学というより行政施策の解説という肌合いが強」く、上から目線で、正確な科学知識が欠如した人々に啓蒙しようとする考え方(「欠如モデル」)のため「どこかよそよそしく、「他人事」と捉えられやすい」としています。一方の『富士山大噴火』の方は火山の専門家が少ない、予知は実用レベルに達していない、危険な場所に立ち入れず研究ができない、などの問題をあげるなど「率直に火山研究のなげかわしい現状を打ち明けて」おり、このように率直に問題を打ち明け討議の材料を提供することが重要としています。

こうした解釈はさておき、私たちの身の回りには「科学だけで決められない問題」というよりも「科学を駆使してもいまだわからない現象」が多く、その解決を科学技術だけに求めても限りがあり、その“隙間”のようなものにどのように対処していけばよいかについては、まだまだ人間が発揮できるさまざまな能力や(⇒参考記事1)、実践と修正の連続に頼らざるを得ない面が多いと思います。
たとえば、自然災害の被災の可能性指標は日本は世界で5番目でありながら、災害に対する脆弱性は他の主要国並みと評価されている(⇒参考記事2)ということから、災害日本列島に不安を抱えながらも一生懸命それを克服するべく、科学や技術の力も借りながら工夫・努力してきた姿が浮かび上がります。

首都直下地震に限れば、その確率は「今後30年以内に70%」とされています。自分自身、関東に出て来てから40年ほど「明日にでも大地震が起こるかもしれない」と言われ続けていますが、まだ起こっていません。これからもずっと「明日にでも起こるかもしれない」と言われ続け、いつか起こるのでしょう。本当に明日かもしれません。
都市計画を専門とする立場からは、国土の人口減少もポジティブにとらえ、危険な市街地をできるだけ先行して減らすことや、少なくとも新たに危険な場所をつくらないこと、何かが起こったときそれを受け止められる「余地」を残しておくことなどを重視しています。先日もある町の都市計画マスタープラン改定作業の終盤で「津波のことは考えたが直下型地震のことは手薄では」との意見を受けてその場で皆で計画案をチェックし、「余地」に関する記述箇所を確認しました。

[参考記事]
1.『復興文化論 日本的創造の系譜』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131111/1384141804
2.『災害復興の日本史』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130312/1363075438