マグナカルタ(1215)とEU離脱

EUからの離脱がほぼ決まりかけた本日午後1時前(日本時間)、BBCの画面に映し出された残留派のリーダーの1人は悔しい気持ちを精いっぱい抑えながら、「これが民主主義なんです。私たちは、この結果を尊重しなければなりません。」と語りました。
今回、超国家EUからの英国の「独立」を決めることになったこのような民主主義的手続を、国民は真に大切にしているようにみえます。このような精神や価値観は、いったいどこから湧き出てくるのでしょうか?

話は少しずれますが、昨年発刊された『思想のグローバル・ヒストリー』(デイヴィッド・アーミテイジ著、法政大学出版局、2015.3.15刊)は、思想を地理や空間と関連づけ、特に近代的な「国」が成立する理論的裏づけや、それが「独立」することの理論的根拠を、グローバルな観点から読み解いたたいへん興味深い図書でした。副題の「ホッブズから独立宣言まで」が本書の内容を端的にあらわしていて、ホッブズの思想は1776年のアメリカ独立宣言につながり、それはすぐそのあとに続くフランス革命(1789年人権宣言)につながったばかりでなく、19世紀初頭の中南米諸国の独立につながっていきます。
逆に、暴君の圧政から身を護り民主的な手続きによって地域を統治するシステムはいつごろ発生したのかと自分なりに歴史をさかのぼると、マグナカルタ(1215年)にたどりつきました。『人権宣言集』(岩波文庫 白1-1)の最初に出ているマグナカルタ。「このような精神や価値観は、いったいどこから湧き出てくるのでしょうか?」に関連しそうな話題を3点書きます。

第一。マグナカルタ成立の社会背景。暴君(ジョン王)に歯止めをかける主役になったのは当時のバロン(封建領主)たちでしたが、それだけでは多数派とならずマグナカルタ成立に至らなかったところで、「都市の商人達を味方につけ、とくにロンドン市がその門をバロン達に開くにおよんで」(人権宣言集p34)ジョン王は屈服し1215年6月15日に要求を受け入れたというところです。
第二。これと関係する、全63条のうち第13条。「ロンドン市は、そのすべての古来の自由と、陸路によると海路によるとを問わず自由な関税を保有する。このほかなお、他のすべての都市、市邑、町、および港が、そのすべての自由と自由な関税とを保有すべきことを、朕は欲し許容する」。
第三。今日のイギリス憲法の一部に、マグナカルタの一部が今なお含まれていること。特に、この第13条が含まれていること。イギリスには「これが憲法です」というものは無く、「一般的にイギリスの憲法を構成しているとされる主要な成文法」はこれらです、と説明されていて、その中の最古のものがマグナカルタ1215で、前文と4カ条が生き残っているとされます。その4カ条の1つが第13条(実際には1225年版マグナカルタの第9条)だと解説されています。

このマグナカルタ第13条的精神が強く残っていて、自由が別の力によって奪われたり強く制約されそうになったとき、なんとしてでもそれを取り戻そうとする力が働いている。その1つの表れが今回のEU離脱という選択だったものと思われます。

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