アジスアベバ開墾(1) : “常春の”高原都市

明けましておめでとうございます。2017年です。
そろそろ21世紀後半に向けた新たなテーマの“開墾”にも取り組もうと、アフリカ連合の本部が置かれているアジスアベバから、5回の予定で、できる限りその未来を探ってみたいと思います。

その都市像は(意外なことに)、一言でいうと、「“常春の”高原都市」でした。
アジスアベバの標高は2400m程度です。日本でいう冬場は乾季にあたり、毎日快晴。日中は20度をいくらか上回り、歩きまわると汗もかきますが、日陰に入ると低湿度のためさわやかで、“初秋の軽井沢”ともいえそうです。景観的にも、緑に包まれた高原の中に、ビルがポツポツ点在するといった感じ。明け方になると10度前後まで気温が下がり、この調子が1年じゅう続きます。
軽井沢だって冬になれば0度付近まで冷え込んでしまうので、「常春の高原都市」というのは貴重です。アジスアベバという都市自体は、実は1886年に創設された若い都市。1つ前の拠点はエントト山という、アジスアベバ北の標高3200mほどのエリアにあったのですが、当時の皇帝メネリク2世に皇妃が、「こんな寒い所はやめて、あそこに見える花の咲くあたりに町をつくりましょう」と提案。「新しい花」を意味するアジスアベバが誕生したとのことです(やや脚色している)。

赤道に近い場所にどうやって都市を開墾するか。そういう目でみると、エチオピア歴代の首都の多くはどれも高原都市で、隣国のナイロビも高原都市(1600m)。中南米には最高標高の首都ラパス(3600m)があるほか、メキシコシティ高原都市(2200m)。古くはマチュピチュも高く(2400m)、当時の首都クスコはさらに高い場所にある(3400m)ばかりでなく現在でも人口30万人を擁する都市です。普通であれば近代化の中で「そんな高い所にあったら不便でしょうがない」と、港があるか港までほど近い場所が都市として成長するのが一般的だったと考えられますが、赤道付近で「住みたい都市」にしようとすると、防御機能も兼ねて、高い場所に都市をつくることが合理的だったのでしょう。エチオピアは国全体が高原的。アフリカの中で植民地化を免れたほぼ唯一の国であることもこれに関係しているかもしれません。

2015年の春、成田からアジスアベバへの直行便が飛ぶようになりました(途中香港に降りる)。現時点で日本からアフリカに直結する唯一の路線です。注目されるのは、アジスアベバのボレ空港がハブとなり、その先の乗り継ぎでアフリカ全体をほぼカバーしている点です(⇒乗継資料)。隣の席の方はカメルーンに「妻を連れに帰り、また日本に来る」とのことでしたが、カメルーンだけでもヤウンデ便とドゥアラ便がすぐに接続します。エチオピア航空は100%政府出資の優良企業でボレ空港を拠点としています。アジスアベバが、「そんな高い所にあったら不便でしょうがない」と思えた時代は過去のもの。ボレ空港をハブとして世界各都市がネットワーク状に結ばれていて、それは日々進化。ようやく日本もそれに直接つながったという感じがします。

[乗継資料(GSAのHPより)]
http://www.gsa.co.jp/et/newsdl/Transitchartwin2016.pdf