難波宮(大阪と都市イノベーション(その3))

いよいよ「都市イノベーション開墾」も最後の2話。日本ではじめての都市計画生成過程を都市イノベーション的視点で開墾します。

まだ「日本」というまとまりがあいまいだった頃、大陸や半島との外交や内外の交通の拠点として選定された難波宮・難波津。
前期難波宮は、いわゆる「大化の改新」をすすめるために、645年に孝徳天皇によりその建設が決められたとされるもので、後期難波宮と合わせて、現在、大阪城に南接するその場所において大規模な発掘調査が行われ、次々と新しい発見がなされています。最近の例でみると、国立病院機構大阪医療センターの一角にて、「難波宮NW15-1次調査」の現地説明会が2016年12月3日に実施され、その後、その発掘場所は埋め戻されています。病院のホームページには「遺跡調査」のコーナーがあり、2017年1月時点の「お知らせ」では、「この貴重な遺跡を損なわないように新病院を建設いたします」とされています。今後どうなるのでしょう。

まだ本格的な都城のなかった飛鳥時代から藤原京へ、そして平城京の時代へと遷移するなかで、それら都からの脱皮やそれらとの補完関係(特に外交と水運)を模索しながら、少なくとも平安京に都が移るまでの間、重要な役割を担った都市として注目されます。
この場所。大阪城もそうであるように、上町台地の突端(北端)に位置する、おそらくこの地を支配しようとする者なら誰もが都や城を築こうとするであろうポイント。信長がてこずった大坂本願寺もここにありました。
『東アジアに開かれた古代王宮・難波宮』(新泉社(遺跡を学ぶ095)、2014.8刊)は、まだ進化途上にあるそうした難波宮の意義を特に外交面に着目して描いた図書のようです。注文したので明日にも届きそう。考古学と歴史学と建築史学と都市計画の接点にある、ワクワクするテーマです。

[関連記事]
纏向遺跡 (都市イノベーション読本 第80話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130205/1360047676

・大阪と都市イノベーション(その2)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161024/1477294828
・大阪と都市イノベーション(その1)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130122/1358861442