地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

「都市イノベーション・next」(全100話)スタート

横浜居留地と都市イノベーション(その2)

「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書(1866(慶応2)年=第3回地所規則)」に先立つ「横浜居留地覚書(1864(元治元)年=第2回地所規則)」の第1条では「吉田新田への各国軍事訓練所、および競馬場の設置」が規定されました。「軍事訓練所」と「競馬場」が冒頭に並列で出てくるところに、居留民の「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場やテニスコートが欲しくなったり」の本音が出ていて興味深く思います。ただし、競馬は1860年に元町あたりで行われたのが日本初とされており、「地所規則」などに頼らずに、すぐにでも実施したかったのでしょう。1866年には幕府が根岸競馬場を建設。第3回地所規則第1条では、第2回地所規則の第1条を廃止して、「代わりに競馬場は根岸にすでに落成しているものを用いること」と規定されました。
(その1)のテニスと同様、運営組織はイギリス人を中心とした「横濱レースクラブ」。けれども山手公園の運営資金が問題となったように根岸競馬場の維持もたいへん。1888年からはじまった馬券の販売によりようやく安定した財源が確保されるようになったとのこと。当時、日本の刑法では禁止されていた賭博にあたるこの行為が、居留地治外法権だったからこそ可能だったというのは皮肉というか歴史の奥深いところ。イギリスとの間で治外法権が撤廃されたのは1894年、居留地の解除は1899年7月17日のことでした。

現在も、山手のこの根岸競馬場一帯はさまざまな意味で横浜の都市計画の最先端にあります。ひとつは旧競馬場一等スタンドの扱い。訪れてみると、その巨大なスタンドの廃墟感というか歴史的重厚感のようなものに圧倒されます。既に整備された、アプローチの先に富士山が見える芝生広場も含めて、このスタンドを将来に向けて活かすことができれば新しい次元の都市の資源になりうることを予感します。第二は、すぐ近くにある接収地「根岸住宅地区」の今後。返還が合意されており、将来まちづくり計画も検討されています。現時点で行ってみると、立ち入り禁止のフェンスに横文字看板が各所に掲示され、日本とは思えない風景がひろがっています。「根岸住宅地区」は旧根岸競馬場につながっていて、両者を合わせるとかなり広大な面積。居留地プラス接収地の歴史が将来のヨコハマにつながっていくことを実感します。

【In evolution】日本の都市と都市計画
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