分けることと混ぜること

「シェア・アパート」を扱ったおとといの記事で「Use Class Order」のA用途、B用途、C用途、D用途、およびそれらのどこにも所属しない「特定用途」について書いてみて、さらにそれらをめぐる現代的騒動(1つはオフィスから住宅への転用が許可無しでできることについて、もう1つは許可無しで転用できてしまうためパブが「1日10軒も」減少している件)をリンクしてみて、「このようなきめ細かな方法はもしかすると成熟社会日本の新しい都市計画の方法のヒントになるのかもしれない」などと、ふと考えました。
ゾーニングが都市をゾーンに分けて用途を「分ける」方法であるのに対して、「Use Class Order」は用途を2段階に「ややおおざっぱに」分けておき、相互の相性の組み合わせにより「許可不要」「条件付き許可」「許可」を判断します。そうすることで積極的に「混ぜて」いるわけではありませんが「分ける」程度が弱く、かつきめ細かくなり、結果として「よい塩梅」になる(はずである)、という方法です。そういう意味でいうと「シェア・アパート」もその扱いである「特定用途」は「慎重に混ぜる」方法なのかもしれません。
ゾーニングの弊害に悩まされるアメリカでは「ニューアーバニズム」運動によって「分ける」程度を減らそうとしていますが、「分ける程度を減らす」ことと、「よい塩梅に混ぜる」ことは、どこかで決定的に違うように思います。
日本の用途地域アメリカ型なので「分ける」ことはできるのですが(実際には日本の用途地域は「おおざっぱに分ける」「あまり分けないでおく」ことに特徴がある)、「よい塩梅に混ぜる」のは不得意で、いくら「○○地域」や「△△地区」を重ねて使ってもそれは困難です。「よい塩梅に混ぜる」しくみを導入できれば、日本の都市の姿は大きく変わるのかもしれません。その場合、何が「よい塩梅」かを誰がどのような方法によって判断するのかがポイントになりそうです。