彦根と都市イノベーション

NHK大河ドラマの万千代(幼名虎松)がやがて井伊直政となり彦根を与えられた際、石田三成の居城だった佐和山城を壊して、西方約1キロの彦根山を中心に建設された城下町彦根
天守閣築城400年を2007年に祝った城下町彦根では本年(2017年)、410年祭がおこなわれています。授業「都市計画とまちづくり」でも毎年中心市街地活性化プロジェクトをとりあげている彦根ですが、「410年祭」を機に発見できた彦根の都市イノベーションをまとめてみます。
第一。これだけの城下町、とりわけ城郭周辺の姿がよく残されているのに改めて驚かされます。天守閣は確かに1607年にできたのですが、城下町の建設、すなわち当時の「都市計画」はその後もしばらく続けられます。幕末1836年の精度の高い地図(彦根御城下惣絵図)が残されていて、現在の地図と比較しながら彦根のまちを歩くと、「近代化」とはなんだったかがわかると同時に、それを取り除いたときの姿がよくみえます。内堀と中堀が埋め立てられずにそのままの形で残る雄大な景観をみると、当時の都市イノベーションの迫力がそのままの形で伝わってきます。
第二。築城400年祭のとき、そのプレイベントとして「光の祝祭彦根城ライトアップ」が行われます(プロデュースは内原智史氏)。当時のホームページがまだ残っており、以下のように記されています。
「石垣には、濠の水面の波紋が映り、普段では感じる事の出来ない、幻想的な雰囲気でした。築城から400年の間、未だかつて見た事のない風景が広がりました。」
第一の点だけでも、このような資源が現在に引き継がれていて本当によかったと思うのですが、410年祭の本年も行われているこのライトアップに接すると、「未だかつて見た事のない風景」が、じんわりと心に染み入ります。こういったらなんですが、彦根中心市街地はそんなに活気があるとはいえません。けれども逆にいうと、とても静かで、ごく日常的な風景が見られます。そのような中で照らし出された「本物の彦根」の「未だかつて見た事のない風景」は、ある意味、400年間あったと思っていた彦根を、「それってこういうことですよね」と、初めてわかりやすく「見える化」する試みだったのではないかと思います。
第三。その400年祭をきっかけに、彦根を再発見してそれぞれの観点から「見える化」しようとする活動が生成しているようにみえます。例えば内堀をめぐる屋形船は、NPO法人小江戸彦根が400年祭をきっかけにはじめたもの。彦根城の石垣や街並みを水辺からゆっくり眺める1時間弱の行程は、イノベーション都市彦根の本質に迫る「記憶」を焼き付けます。普通のガソリンエンジンで運行すると堀が汚れるからと許可されなかったため、バッテリーBoxを運航のたびにたくさん積み込み、無音での航行。水辺から眺める異次元の光空間体験は、彦根という都市の印象をさらに深くします。

最後に。実は、彦根という城下町がどのようにつくられたのか、400年の間にどのように変遷したのか、何が彦根の貴重な財産なのかについて、まだ本当のことは正確にはわかっていません。発掘調査がさかんにおこなわれ、日々、「城下町彦根」の認識も更新されています。歴史とは決して過去のことではなく、私たちがそれをどのようにとらえるのか、どう選択するのかという、現在進行中の重要な問いかけなのだと思います。

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・『信長の城』 (2013.1.29)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130129/1359426558
・『城下町』 (2013.4.9)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130409/1365473723