八戸からいわきまで・2018春(1) [=「浜通り地域の復興の現状(その6)」]

東日本大震災から7年。
最も困難な課題からの再生を模索している2つの課題に絞り、2020年頃までのプロセスを想像します。1つは原発被害からの復興。2つめが、大規模盛土を伴う復興。

まず、1つめの課題から。「避難指示解除」から1年が経過した町民の「帰還率」は富岡、浪江共に数パーセント未満とされますが、まちなかの状況は、かなり異なってみえます。

富岡。駅が機能し、区画整理事業が駅前から内陸方面にかけ行われて、ホテルや集合住宅・アパートなどが立ちはじめています。富岡川手前には面的に戸建住宅団地がつくられ、入居が始まっています。その奥にはクリニックモールやスーパーマーケットがあり、生活の基盤もできてきています。2018.4からは(生徒数はきわめて少ないものの)小中学校も7年ぶりに再開。その小中学校がこの中心にあるため、再開の意味は大きいと感じます。国道6号をはさんで向こう側(内陸側)が旧市街地。帰還率が低いなか、あちこちで建設工事が行われています。よくみると、空き地が多く、かなりの建物が解体された様子。解体中の建物も見かけます。
目を駅の東側に転じると、鉄道と海にはさまれたスペースは除染土(袋)の仮置き場となっていて、仮置き場が撤去されたあとに、新たな土地利用が計画されています。駅をまたぐ道路も工事中。
このように、「今」という瞬間に町の再生への動きを感じます。(「再生の動き」の中には復興事業そのもののエネルギーも含まれる。)
なお、富岡には1つ北に「夜ノ森」地区があり、「帰還困難区域」の中で先行して除染を行い避難指示解除をめざす「特定復興再生拠点区域」390haの計画が先日認定されました(2018.3.9)。

浪江。富岡を「動」とすると、浪江のまちなかは「静」でした。正確に言うと、国道6号の角にローソンがあり、そこから(以前はバリケードがあり入れなかった)町へ入っていくのですが、その入り口付近を除くと、商店街には人の気配がありません。浪江駅も寂しい雰囲気。町中を回ってみても同様です。ローソンのある国道6号と駅の間の距離がかなりあることも「静」の要因かもしれません。
そのローソンから町に入った所に町役場があり、ローソンとの間に仮設店舗群ができています。そこにもう1つミニローソンが入っていて「お客の多くは町役場の人」と店員さん。
歩いただけでは、2020年を想像することはかなり困難でした。土曜だったからなのか、、、7年後のこの様子は、なかなか言葉では言い表せません。

「特定復興再生拠点区域」はさきの富岡町夜ノ森の390haに加え、大熊町に880ha、双葉町に555ha、浪江町に661ha設定されました。計2466haは「帰還困難区域」33700haの7%。「除染で5年以内に避難指示が解除され、計画的・効率的な公共施設が整備可能な規模」とされます(2018.3.19日経新聞による)。
3つの「特定復興再生拠点区域」を通る
常磐線は「2019年度末」の復旧をめざしています。

[2年前の状況]
・八戸からいわきまで・2016春(その3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160516/1463389716

[参考]
【統合ファイル】東日本大震災復興
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120305/1330943180