『(映画)太陽の塔』

この春、JR茨木駅方面から、48年ぶりに「太陽の塔」に向かう私は、何か懐かしい「あの時代」に面会しに行くような、万博会場ではない周囲の中でうまく立っているだろうかと心配するような、まるで塔が意思をもった主体であるかのような気持ちになっていました。その「太陽の塔」の映画ができたというのでさっそくかけつけると、、、

よくできた映画でした。(一応)都市イノベーションworld的にみると、
第一。万博の「お祭り広場」の大天井に突き刺さるような格好で立ち上がったこの塔は、お祭り騒ぎのあと万博関連施設が取り払われたあとも、ほとんど唯一のレガシーとして残りました。この塔は何なのか。「東京タワー」のような単なる塔ではありません。仏像のようなものなのか?建築なのか?彫刻的モニュメントなのか?いつまで立ち続けるのか?大阪が無くなっても立っているのか?
第二。「進歩」とは何か。たとえば都市の進歩、都市計画の進歩とは何か。そもそもそういうものはあるのか?深く考えさせられます。前記事(⇒関連記事)にもあるように、万博跡地周辺が未来的であるためになおさら、「太陽の塔」の視線やその存在そのものが迫ってきます。
第三。万博の1970年、現在2018年、これからどうなるの?どうするの?たかだか50年ですが、50年の重みも感じます。映画が問いかけるテーマでもあります。
第四。いろいろな人が出てきます。建築家、哲学者、民俗学者、舞踏家、アーティスト、コピーライター。「太陽の塔」の内部も外形も含めて、多義的ながらもある一定の方向を向いた解釈とビジョンが示唆されます。

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・「1970年大阪万博」レガシー
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180521/1526890456