ヴェネツィアは都市計画しなかったのか? (ヴェネツィア都市イノベーション(1))

他にない独特の魅力的な都市空間が世界中から人々を引き寄せるヴェネツィア。これだけ自動車が発達した現代社会において、なぜあのような都市が成立しているのか?。どのようにしてこのような都市ができたのか?。都市計画無しでこのような都市ができたのだろうか?。もし無しのほうがよいのだとしたら「都市計画」なんて要らないではないか。
このような問いにようやく少しだけ答えられそうになってきました。1つは昨年出版された新しい図書『ヴェネツィアとラグーナ 水の都とテリトーリオの近代化』(樋渡彩著、鹿島出版会2017.3.30刊)においてヴェネツィアの近代都市計画にあたりそうな諸事実が明らかにされたこと。もう1つは現地を訪ねたり既往文献等を再確認することで、ヴェネチアが成立するときの最初の都市計画のようなものがやはりあったのだろうという予感をもったこと。後者をヴェネツィア第一の都市計画、前者をヴェネツィア第二の都市計画と仮に呼んだとき、いずれの都市計画も一般に想像する都市計画の姿と大きく異なるため、現在のヴェネツィアを人々が見る際、「都市計画していない」と感じるのではないか、というのが今回の話です。

まず、都市計画以前。ヴェネツィアという都市の立地の経緯。これについては最近の考古学的成果により従来の2段階定住説(陸寄りの別の地点に一度集住しはじめたが、後に安全上の理由から現在の地に移り住んだとされる説明を仮にこう呼ぶ)が揺らいでおり、むしろローマ人たちが進んだ技術を使って今より水位の低かったかなり古い時代からこのあたりに暮らしていたとする説も紹介されている(⇒文献1)ので、今回は対象外とします。いずれにしても干潟の上に土台を築いてできた百数十の島がどうやって都市的に機能するようになったかをどう説明するか。
さて、ここで第一の都市計画の登場。ただしこの部分はかなりあいまいで時間的にも長い期間ですが、
「都市をつくっていくとき、全体から構想して設計して、部分を下に下ろしていくか、部分から積み上げていくかという、極端に分けて両方あるんですが、ヴェネツィアは全体をコーディネートする発想ももちろんあったわけです。(以下、略)」(⇒文献2)といった説明や、かなりさかのぼりますが、「811年から始まるパルテチパツィオ家の治世に、ヴェネツィアの街は現代のものへと変貌を始めた。初代のアンジェロ・パルテチパツィオは、エラクレーアの生まれであったが、リアルトへ移民した。彼は、橋、運河、防壁、要塞、および石造建築を充実させ、街は海上へと拡張された。これが、現代の海上都市ヴェネツィアの原型である。」(Wikipediaヴェネツィア共和国の歴史』に現時点で書かれている内容で、文献はまとめて示されているためそれを是正するようにと注意されている)のような都市計画的対応ともいえそうな記述も確認できます。
一方、全体が保存対象であるような大切なヴェネツィアが近代化の波に晒されたとき、どのように対処したかというのが第二の都市計画。それがさきの『ヴェネツィアとラグーナ 水の都とテリトーリオの近代化』の主要な内容です。近代化の中でそれまでのやり方ではやはり限界となり、歴史的市街地の外側に鉄道や港湾施設などの近代的施設をつくった(例外的に市街地を壊すなどして新たな街路や水路を通した部分もある)。それらを機能させることで、今まで分散的・補完的に担ってきた諸機能が統合され、歴史的市街地は基本的に変えないまま継承できるだけでなく、不要になったスペースが他の機能に転用できるなどの形で動きがとれるようになる。この図書ではこれら一連の近代化対応を「近代都市計画」と呼んでいるわけではありませんが、これらをつなぎ合わせるとかなり「近代都市計画」に近いものになると思われます。制度面や体系的な計画意図の確認などの面を加えて体系的に理解したいところです。

ここから先は第二の都市計画の発展版。海上の歴史的ヴェネツィア市街地では足りない都市機能は別の島、大陸側の都市が受け持つ。ある意味、地域計画といえそうな分野です。たとえばすぐ隣のリド島。船で5分ほどのこの島に渡ると、普通の現代都市と同じように自動車が走り、まるで別の世界に来たようです。先の文献の第3章4節は数十頁を費やしてこの島の独特な役割の形成について論じています。一方、長い橋を渡れば大陸側にも数分で到達。朝夕、ヴェネツィア(島)に通勤・通学するのがむしろ普段の生活です。さらに、より広い地域全体が都市機能を分担しあって、それぞれ特徴ある都市・地域になっていることが紹介されています。

「第一の都市計画」の部分は少し横に置いておくとして、ここで第二の都市計画と呼んでいる都市の近代化の部分については、これまで慣れ親しんできた「近代都市計画」像とはかなり異なる独特な対応とはいえ「そうとらえてみれば理解できる。なるほど、そうだったんだ」と思える内容だと思います。このことは、日本の城下町に近代都市計画を加えた際の「加えた側」と「加えられた側」の関係や達成した都市としての価値を再評価することの大切さや、個性を大切にしながらも計画全体として価値が高まる新しい都市計画のあり方のヒントを示しているのではないかと感じます。

[文献]
1.『文明の基層 古代文明から持続的な都市社会を考える』p70-72。
この図書については、以下の記事で。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170518/1495109279
2.『地中海都市周遊』中公新書1512、p168。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168