ローマの底力:都市文明と都市計画(1) ローマとはどういう都市か?

京都。日本国内で最も歴史を堆積させたこの大都市のことがようやく最近理解できるようになってきました。けれどもこの都市は本家長安を模してつくられた都であるうえ、794年から数えても1200年余にすぎません。たびたび戦火で焼かれているので、見えている「物」そのものは平均すればさほど古いものではないと思われます。
ローマ。「都市」の源流ともいえる古代からの都市の堆積が2500年余りもあります。単に堆積しているだけでなく、古代の時点で技術力がきわめて高かった、、、そのローマの底力を都市イノベーション的に考えてみます。
最も驚くのは(イメージ的にいえば)、その2500年の堆積が言葉のレベルでなくゴロゴロころがる「石」という実態レベルで街じゅうにころがっている。朽ち果てたものも、発掘された断片も。あるいは、朽ち果てた古代の水道施設の横に別の複数の時代の施設が並んで走っている。古代の建築を壊した部材で別の時代の新築がなされている。それも既に500年経っていたりする。「今」という時点でそれらが混じりあって現代都市ローマとなっている。
古代ローマともいえるしルネッサンスローマでもあり、近代ローマであり現代ローマでもある。その堆積が2500年もあるというのは半端じゃない。それがローマ。ある意味、そのことが都市イノベーション(イノベーション都市)。少し掘るといろいろなものが出てくるので、それをとっておくために博物館が1つ必要になるような都市。「ローマの博物館」なのか、「ローマが博物館」なのか???
掘るとたくさん出てくるからやめておこうとしたとしても、歴史の中で時々まとまった都市計画が必要になり、あるいは機運が盛り上がり、また時代を画す物ができる。たとえば300年くらい経つとそれは歴史的なものになる。衰退した時期もあったので、2500÷300≒8回分堆積しているかというとそういうわけでもありませんが、この底力がローマのパワーであり他にない魅力ではないかと思うところです。

教科書にも別の箇所を引用させていただいている青柳先生の本の以下の言葉が、実感をもって迫ってくるのでした。
「これらの造営事業を推進する過程でコンスタンティヌスは、ローマをキリスト教の都に改造することがいかにむずかしい事業であるかを認識したと思われる。都の中心部は、歴代の皇帝たちが巨額を投じて建設した建物が軒を接して建ち並び、あらたな建物を建設する余地はなかった。既存の建物を改築しようにも、皇帝たちの名前と伝統宗教のしみ込んだ過去の栄光を拭い去ることはできなかったし、市民の反発も無視できなかった。」(『皇帝たちの都ローマ』青柳正規著,中公新書1100,p393-394)

【in evolution】世界の都市と都市計画
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