『十六世紀文化革命』

世界史の中でも大きな転換点となる1500年。大航海時代を迎えて「新大陸」が「発見」されたとされ、都市にとっても大きな変化があらわれます。けれども、、、
18世紀中頃にイングランドからはじまる「産業革命」までは250年も間が空いています。前記事でローマのルネサンスの到来を告げたあとの、たとえばオースマンによるパリの大改造がはじまる1850年代までには350年もあり、その間の流れを「バロックの都市計画」の生成と体系化として解釈しようとしても、かなり抜けた感じがします。日本のこの時代はまさに都市が勃興してやがてそれらが「城下町」という独特な形態を伴いながら新田開発なども精力的に行われて人口も増加しやがて幕末期に入っていく。その間、1532年に鉄砲を持って種子島に到来したキリシタンは長崎の出島などに押しこめて、いわば文化が日本国内で熟成するような形で各都市の進化がみられたのです。などとしておけそうな感じなのに対して、話はグローバルかつヨーロッパ的な分、少し手ごわそうです。

そこで一度になんとかしようなどと考えず、今回は『十六世紀文化革命』。
山本義隆著、みすず書房2007.4刊。著者は理学部物理学科卒の科学史家。16世紀が「文化革命」と呼べるかどうかについては議論もあり、「十二世紀ルネサンス」や「十七世紀科学革命」などに比べてまだまだ「仮説」あるいは「ストーリー」レベルのものかもしれません。けれどもいつくかの点において確かに「都市イノベーション」と密接にからみそうなので、そのような視点からポイントを並べてみます。
第一。「ルネサンス」というと文芸復興運動の面、とりわけ「復興」の面が強調されがちですが、なぜ「十七世紀科学革命」が可能だったかを考えると、ルネサンス期以降、それまで主に素朴な観察や思考によって考案されてきた法則のようなもの、たとえば地球や太陽の動きについて、望遠鏡のような道具や機械を使って、より正確な姿を確認しようとするようになった。そうして得られた実測値によりその法則の正しさが確認され、もし一致しない場合には別の説明(理論)を考案する、その繰り返しが科学の進化のもととなる。
第二。そうした道具や機械を使うような職人らは当時、身分の低い者とされいわゆる理論のような世界と無縁とみられていた。また、そうした蓄積はギルド内で、あるいは親方から弟子へといった形で伝承されてきたため内に閉じられていた。それらがこの時期にはじめて客観化されはじめた。本書では「客観化」という言葉ではなく、「公開」された点を強調していますが、当時普及してきた印刷技術によってそれらが大量かつ安価にそれを欲する人々の手に渡りアルプスを越えて急速に全ヨーロッパに伝わるようになった。使われた言語も、エリート層しかわからないラテン語ではなく現地語によった。けれどもそれは神のもとでの解釈にしばられていた世界との葛藤の中から当時のエネルギーによって段階的に可能になったものと考えられます。
第三。都市・建築の領域でみると、「空間」の認識そのもののメカニズムや表現方法、伝達方法が定式化され図法化され「公開」されるようになった。本書ではこの分野ではアルベルティ(建築家)やデューラー(画家)の功績が高く評価されます。
第四。都市の状況。都市国家レベルのガバナンスを超えて、徐々に国家レベルに力が集中しはじめます。強い軍隊を備え、火器、特に大砲の進化によって、たとえばルネサンス都市の城壁などはあまり意味をもたなくなってくる。「強い国家」という大枠に護られてこその都市の都市計画。もうすこし言うと、自治都市を守ろうとする側と、城壁を壊してでもその都市を勢力下に入れようとする強い国家。
第五。第四に示すような強力な国家は、ルネサンス期以降に客観化された技芸の発展を「王立アカデミー」などを設立して国家事業化していく。それをリードするのは一部のエリート層であり、むしろそうした知識人は、自ら新しい望遠鏡を製作し観測によりデータを収集・解析して新たな法則や理論を構築するような、新しいタイプの知識人であった。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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