紀元前600年の世界の都市人口

昨年度に創設された都市科学部で現在、『都市科学事典』の編纂作業が続いています。
それとも関連して、「世界の都市の進化」をグローバルに描く場合、メソポタミアから都市文明を描き始めるのはよいとして、どの時点からどのように別の都市文明、とりわけアジアのそれを描けばよいのか。メソポタミアからの流れだけを追っていくとどうしても古代ギリシャ・ローマからヨーロッパ都市への単線的な流れだけになってしまう。
いくつかシカケを考えたのですが、どうしてもアジアはメソポタミアとの距離的隔たりが大きいため、「どこかで登場させたいけれどもどこでどうやって登場するか」を考えないといけない。

ということで、2018.2.22の記事で「最後は「紀元前後」」としていた都市人口話をさらにさかのぼって、アジア都市が登場してくる目安を探すことにしました。あくまで目安なのでこれだけが決定的証拠というわけではありませんが、(とりあえずの結論として)紀元前600年の都市人口をみることにしました。何人もの推定値が並列されている「主要都市の推定人口変遷」(Wikipedia)を参考にします。その時点でのその都市の人口の最大推定値をとります。

■紀元前600年の都市人口
バビロン 200000
洛陽 200000
カルタゴ 100000
メンフィス 100000
ノロス 100000
臨淄 100000
燕下都 100000

気になる「古代ギリシャ・ローマ」ですが、ローマが大きくなってくるのはかなり後の方なのでよいとして、アテネ。紀元前475年に100000というのが、この表では最初です。やや微妙な面もありますが、洛陽は紀元前771年にはじまるとされる東周の首都(当時は洛邑)であること、その前にも鎬京(紀元前900年に125000人。西周の首都)、さらにさかのぼって殷墟(紀元前1300年に120000人。殷の首都)があったとされることも合わせて、いわゆる「黄河文明」の流れで都市が発生し殷墟や鎬京のような前史を経て洛陽が繁栄。その後長安が築かれて唐の時代に最盛期を迎え広く(東)アジアに影響力をもった、というストーリーがはさまった後に、もう一度西方に戻って「古代ギリシャ・ローマ」が出てくる、という順番でもグローバルヒストリーとしてはおかしくないのでは、と現時点では考えている次第です。もちろん、単に古くはじまったということだけでは不十分なので、どこかの時点で東西の交流や交易があったり、影響を及ぼし合ったり、少なくともアジア内部での影響が大きくそのことがその後の都市形成を左右した、もしくはさらにその後の都市(計画)に(間接的であっても)波及効果を及ぼしたといえればよりよいのですが。