1964年東京オリンピック選手村となったワシントンハイツ・過去現在未来

最低視聴率を更新中のNHK大河ドラマ『いだてん』で先週、埼玉の朝霞に決定していた選手村を代々木へと覆す場面が描かれました。ドラマでの説明では、メインスタジアムと選手村は近くなくてはならず、それでこそ万国から来た選手たちが交流できるのだと。結局、実際にそうだったように選手村は朝霞ではなく代々木となるのですが、その際「60億円」の費用がかかることがわかりそんな金あるわけないでしょと苦悩していたときにNHKが新社屋を代々木につくることでこの金の問題は解決した、というのがドラマの内容。

さて、NKH大河ドラマは一応史実の骨格には基本的に忠実だとは思われるものの、ドラマには丹下健三なども登場しており、「東京の最後の本格的都市計画」とも言われるこのあたりのことを再現したものはないかということで思い出したのが、この20年くらい開いたことのなかった『特集 近代日本都市計画史』(『都市住宅7604』)。磯崎新が高山英華にインタビューする形で、ほとんど書き物などを公表しなかった高山氏がずっと担ってきた戦後日本の都市計画「史実」を掘り出し描き出そうというチャレンジングな企画。

 

ありました。

当該部分だけ少し紹介してみます。(p58)

高山:(朝霞をやめて代々木に選手村をつくることに対して)東京都は反対したわけだよ、環状七号をつくる理由がなくなるから。……(中略)……それで、ワシントンハイツを獲得しようと運動にしたわけだ。そこでアメリカとやって、ね。そうすると、お金になってきたんだな。アメリカは足元を見透かして、60億円かなんかでいまの調布の水耕園ね、調布飛行場のところでアメリカが清浄野菜をつくっていた。そこへ、いまいる人数分を急きょコンクリートで建ててくれ、と。(このあとだれが出すかでいろいろあり)……(中略)……そのときにNHKが出てきたんだ。……(中略)……それで、この際NHKを建てかえるから、そのかわり端をちょっといただきたい、と。そのころNHKは、青山の東大生産研の隣の敷地に建つことになっていた。……(後略)。

 

基本筋はドラマの筋と同じでした。

『特集 近代日本都市計画史』を改めて読んでみると、都市イノベーションとは、あるきっかけの中で理念を打ち出しつつ、筋書きは明確ではないもののその理念に向ってできることは限られた時間の中でとことんやり、ハイレベルの成果に着地させる胆力というか執念の結果生まれるものであることがよくわかります。

 

現在の「代々木公園」「代々木体育館」「NHK」。それぞれの土地利用がそれぞれで小さくまとまっておさまっている感じがします。中央を横切る幹線道路。

「都市イノベーション・Next」があるとすると、このような場所の再生・新生なのかもしれません。