平戸と都市イノベーション

「都市科学事典」の編集が進み、今週は担当している「都市はどのように進化してきたか」という項目の内容を一目で理解できる(との期待を込めた)図を作成し出版社に送りました。内容は出版されてから見ていただくとして、今回のテーマは「平戸と都市イノベーション」。

 

内容は、少し前の「都市探訪7 都市再掘」とも関連しそうな内容です。

「メキシコシティにテノチティトラン現る」とだけ解説された写真のため、印象に残っていないと思いますが、このことは「都市科学事典」の中でも取り上げている、自分としては大きなテーマです。1519年にスペイン人コルテスにより「徹底的に破壊された」はずのテノチティトランが、現代都市メキシコシティのど真ん中に姿を現すという出来事や、それを積極的に今日のメキシコシティの一部として位置づけるということそのものが、とても都市イノベーション的と考えるからです。「都市はどのように進化してきたか」で描いた「図」をよく見るとそのようなことも含めて「都市」「都市の歴史」がもつ味わい深い意味・意義や、たとえばこれからの「都市計画」をどうするかを考えるための都市の構造が見えてくることを期待しています。

 

さて、それが平戸とどう関係するのか。

1543年にポルトガル人が鉄砲を持って渡来したあと1550年には平戸にやってきます。幸いにもその鉄砲で「徹底的に破壊され」ることなく(まだ都市もそこにはなかった)、交易しましょうということで、1600年に平戸藩が成立したあと1609年にはオランダ商館ができ、1613年にはイギリス商館ができた。しかしキリシタンが弾圧されるようになり1639年にはポルトガル船は入港禁止に。オランダ商館も1641年には長崎の出島に移されて、ある意味、「平戸時代」は1550年にはじまり1641年に終わった。鉄砲を持ってきた方が追い出された形なのでメキシコシティとはわけが違うのですが、、、

 

話は飛びますが、2018年6月に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されました。その中に、平戸島の一部も含まれる形となりました。実は、当初日本から出ていたのは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」でしたが、そうした捉え方ではなく、禁じられていた時代の遺産(の方が世界遺産として適当)という形で世界遺産となった。

世界遺産サイトは平戸の中心部から離れたところにありますが、ある意味、平戸の市街地にも(主に鎖国時代に)禁じられていたものがたとえば教会の形で復活する。

「徹底的に破壊」こそしていませんが「徹底的に取り締まった」はずの施設が町の中に「見える」ようになり、2018年に「世界遺産」となることでさらに新たな視点から価値づけがなされた。

 

都市は生きている。歴史も生きている。

 

これに関連して余談を少し。2月3日の日経新聞(クリック欄)に、天草ジオパークが「ジオパーク」認定を今年度末で返上する、との記事が出ていました。「ジオパーク」に縛られてむしろ認定更新審査などに負担がかかる割に観光客にあまりアピールしていない。むしろこの地域は「潜伏キリシタン」で観光客は増えている。「ジオパーク」を打ち出すとしても、もっと柔軟にやった(やれた)方が本当の意味での地域活性化になるよね、といった内容でした。