『デジタル国富論』

おとといの読売新聞の書評でこの本のことが紹介されていたので、すぐにA社に注文するとすぐ届きました。速い! 野村総合研究所会長兼所長此本臣吾監修、東洋経済新報社2020.4.9刊。

さて、重要な事項を扱っていると思われる本書ですが、全体のまとまりとして何を打ち出そうとしているのか少々理解しにくい面もあったので、ここでは「こんな風に読みました」との形で紹介させていただきます。あくまで「都市イノベーション・next」的に。

 

第一.これまで本ブログでもたびたび出てくるように、「GDP」という尺度だけを目標としていたのでは社会が豊かにならない。というより、本書的にいえば、「GDP」という測定方法に欠陥があるだけであって、実態としての「生活満足度」は上昇している。(がゆえにそんなに悲観的にならなくてよい。)

第二.しかし本書の内容は「無形資産化」のような経済学の方向には向かわず、第一であげたように、事実として「(国別平均値としての)生活満足度」が上昇しているのだから、その上昇分が何によるのかをつきとめようとの方向に向かう。

第三.本書ではその正体を「消費者余剰」の増大に着目する。この対概念が「生産者余剰」なのだが、生産者の利益が出てサービスが提供されてもなお大きな消費者余剰が生じているので消費者はとても満足する。たとえばネット利用の効用。

第四.なぜそんな大きな消費者余剰が出るかというと、ビッグデータの活用にある。(消費者と思っている当事者がネットを使うことで、実は膨大な情報を生み出している。つまり情報の生産者になっている。)

第五.一方、ポスト「GDP」の指標については近年あまた提案されており、本書でも2つ提案する。ただし、概念としてよいと思うのは「Well-being」である。これは受け身的・静的な「幸福度」とは異なり、動的な「良く生きている」という概念である。(ブータンのGNHもこれに近い。)

第六.近年、「aaS」化が多くの分野で重視されている。MaaSがその例だが、これは個別の製品やサービスの評価ではなく、それぞれの人間にとっての効用の高さを評価することである(第2章および第3~5章)。そして、効用の高さという点で、さきほどの第三点目の消費者余剰とつながる。

第七.ただし本書で議論できているのはあくまで経済的効用なので、本当の意味の「Well-being」になっているかどうかの判断には慎重でなければならないと自重しています。

 

骨格はこのような感じだと思いますが、人口十万人の都市がこうした政策をとりやすいなどの各論(第7章)は次元が異なるので少し横に置いておきます。

 

あくまで「デジタル」に限定した実践的・工学的視点の「国富論」が中心ととらえました。逆にいうと、格差問題(企業間の格差/労働者の格差)などの社会経済的な現実面は扱わず、都市そのものがもつ余剰を生み出す力などは扱わず、プライバシー問題もとりあえずは対象外としたときの「デジタル」「国富」の実態と実践的可能性を整理した書ととらえました。

一方、この新型コロナウイルスによる「新たな日常」により現実は大きく「デジタル化」に向かいそうです。今朝の朝刊では4~6月期の日本のGDPの喪失が(年に換算して)約20パーセントになりそうだと予測しています。500兆の20%は100兆(国民1人当たり年間100万円消費しなくなった額)。この損失分の多くを「デジタル」で国富化できるかが問われています。