『日本を開国させた男、松平忠固』

おととし2018年にミネルヴァ書房から発行された『岩瀬忠震』は、幕末の幕臣・外交官だった岩瀬忠震(ただなり)を日本開国の立役者として「ハリスと談判して日米修好通商条約を作り上げ、井伊直弼の慎重論を押し切って独断調印した」(表紙裏の解説)とする書で、第7章では岩瀬ら日本側とハリスとの交渉の様子を会話調で再現するなど興味深い内容でした。

つい最近、表題の『日本を開国させた男、松平忠固』という本が作品社から出ている(2020.7.15発行)のを知って読んでみると、、、

 

『日本を開国させた男、松平忠固』のほうは、当時の老中だった松平忠固(ただかた)こそが開国を推し進めたのに歴史書での評価はきわめて低く、知名度も専門家の間でさえ低い。これをなんとか打破したいとの思いから書かれていることがわかりました。とりわけ、松平忠固の故郷上田の郷土史の立場から、忠固が横浜開港時に主要輸出品となる生糸貿易の面でも多大な貢献をしたとの視点を打ち出すなど、興味深い論点を出しています。以下、日本開国(横浜開港)の視点から従来とは異なる議論を紹介します。

第一。開港を推し進めたのは松平忠固とする説。政治的にはいろいろな説がありすぎて評価不能ですが、現場担当者(岩瀬)-上司(忠固)-最高責任者(井伊直弼)という組織全体でみるなら見解の違いこそあれ矛盾していないのではと思います。それ以上は資料が弱いのでなんともいえません。

第二。関税自主権の無い不平等条約を押し付けられたとの一般的見解は間違っているとする説。これはおもしろいです。当初「日米」間では輸入関税を20%と日本側の考えで結んだのに、あとから「日英」で5%にさせられた、このときに清国並みに低くさせられたのであるとの説。その他の「不平等」についても説が書かれています。都市計画研究としては、居留地での「永代借地権」の設定と解消までのプロセスに興味をもっているところですが。

第三。都市計画に関係しそうな話としては、『横浜開港場と内湾社会』(2019.12.23記事)に出てくる開港当初の街割りに名前が確認できる「中居屋」(p76に事例「H」として詳しく書かれ、p86には本町通り4丁目に大きな土地を確保していたことがわかります)。しかし生糸の50%以上を扱う一人勝ち状態となり、それは独占的だと三井から訴えられ一時的に営業停止命令か出ていたとも。当時の開港場をめぐる旧勢力と新興勢力とのせめぎあいやそれらを取り巻く都市機能立地がやがて横浜関内という場所をつくり出していくさまにはワクワクさせられます。岩瀬か松平か井伊かのような議論とはあまり関係ない次元で、、、