1020年9月の「東国」

今朝の日経新聞を裏返すと、「更級日記、東国知る史料に」との見出しの大きな記事が出ていました。更級日記の作者、菅原孝標女(たかすえのむすめ)の日記が1020年9月からはじまり、父孝標が国司として赴任していた上総国から京へのぼる道すがらの描写から当時の「東国」の景観などを復元しようとする歴史学の最近の成果の紹介がメインの内容。上総国の国府の発掘調査という考古学的成果などがサブの話になっています。

ちょうど「1000年前」ということで、明日になると10月になってしまうので、ギリギリの本日に間に合わせたのかもしれません。

 

少し話をずらし、都市イノベーション的土俵にもってくると、案外、武士の都「鎌倉」に結実する「東国」の進化について、あまり知られていない、あるいは知ろうとされていないようにみえる。京を中心とする情報が圧倒的に多く、東国のことはよくわかっていない。この日経記事は、更級日記は当時の東国情報が得られる貴重な資料との視点から編まれています。

 

「1020年」というこの時期は、菅原孝標のいた上総国も墾田開発を大規模に進め(『国分寺の誕生』歴史文化ライブラリー430、2016)、人口も増え、やがて京のパワーからは一線を画した武士団が育ってくる時代へと、京からの引き締めがあったりやっぱり緩んだりしながら(緩めざるを得なくなり)、ゆっくりと進化していた。やがて京をもしのぐ東国の力が「鎌倉」という都市へとイノベーションされ集結した。


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【in evolution】日本の都市と都市計画
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