800年から1500年の世界の都市人口

1つ前の『中世都市 社会経済史的試論』(ピレンヌ著)の裏付けをとりつつグローバルな世界動向の中で相対化するため、チャンドラーの推定人口を用いて800年から1500年の世界の主要都市動向をみてみます。

上の図が人口上位5都市を単に並べたもの、下の図がそれをもとに地域別に記号をつけたものです。アバウトですが、およそ以下の傾向が読み取れます。

 

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第一。800年、900年は各地域の代表都市であるバグダード(B)、長安-洛陽(C)、コンスタンティノポリス(A)が並び、Cの影響下の平安京、Bに関連するコルドバが次に位置する。(関連記事 800年の都市人口)

第二。1000年から1400年の間には人口50万人を超える都市は出ていない。特に1200年が最低となっている。ただしこの間も3位から5位の都市人口は他の時代と遜色ないことから、いわゆる古代帝国の中心のような都市が衰退したあとの、「これ」といった大きな(強い)システムが出てくるまでの推移期間だったと考えられる。この間、名のあがる都市も多様化している。日本でも中世にあたり、武士の都鎌倉が顔を出すものの再び幕府は京に戻り鎌倉は姿を消す。(関連記事 1200年の都市人口)

第三。1300年になってようやく北ヨーロッパのパリの名前が出てくる(A)。このあたりは『中世都市 社会経済史的試論』のテリトリーだが、世界の動きはまだそう明確にはなっていない。

第四。1500年にようやく首位人口が50万人をとりもどす。ただしこの先もしばらく首位人口は伸びておらず、チャンドラーの表に100万人以上の都市があらわれるのは1775年のことである。(関連記事 1500年の都市人口)

 

この時期の「世界の都市計画の流れ」を書くとすると、こうした大枠を背景として「中身」、とりわけ何か革新的なイノベーションが起こっているのか、単に盛衰しているだけなのかを見ていくのもよいかもしれません。

 

【in evolution】世界の都市と都市計画
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