『Garden cities and colonial planning』(都市は進化する40)

「ハワードが提唱した“田園都市”は日本にどのような影響を与えただろうか?」

 

『Garden cities and colonial planning』(Manchester University Press, 2014。編著者はLIORA BIGON & YOSSI KATZ)は、イスラエルとチュニジアでそれぞれ活動する編著者が、独自の視点から対象を選定(アフリカ、パレスチナ)・構成して“田園都市”の影響について考察した、「このような組み合わせは初めてだけど(なので)、これまでにない発見があった」と言えそうな図書です。面白さのエッセンスをいくつか書き出してみて、「ハワードが提唱した“田園都市”は〇〇にどのような影響を与えただろうか?」との問いに含まれるいくつかの切り口を見出してみます。第1~3章がフランス系アフリカ旧植民地・保護領への影響(モロッコ、セネガル、マリなど)、第4章がイギリス人プランナーが描いたアフリカ都市計画の影響、第5~7章がパレスチナの地へのユダヤ人入植の際の“田園都市”の影響。「他にない」という意味で、第1~3章と第5~7章に注目します。

 

第1~3章では、そもそもイギリス生まれの“田園都市”は、特に社会改革的な部分がフランスで抜き取られ(超要約のため正確な表現ではありません)、また、自立都市のコンセプトではなく衛生的で設備の整った市街地への興味へと置き換わった。そうした人々がアフリカ都市計画にかかわったことと、そもそも環境条件もまつたく異なる地に拠点をつくることが目的となり、フランス人等が移り住む“plateau”と呼ばれる緑の多い高質の市街地がつくられた。そもそも現地にこうした市街地を開発する主体が存在しないなかでは、こうした開発は本国における公的デベロッパーによる住宅地開発に近いものといえる。

第5~7章。第一次大戦後にパレスチナの地へのユダヤ人の移住がはじまった際、既に存在していたアラブ都市の外側に、組織的に新しい居住の地をつくろうとするニーズが高く、“田園都市”という用語がさかんに使われ、さまざまな提案がなされ、国土レベルに及ぶ大きな提案もあった。テル・アビブのAhuzat Bayitが代表的な例で、アラブ人都市Jaffa(ヤッファ)の外側にAhuzat Bayitは開発された。183頁には、“田園都市”のダイアグラムとの関係性が図示されている。その後多くの近隣が開発されて「テル・アビブ」へと成長していく。

 

やや図式的に書きましたが、これらから「ハワードが提唱した“田園都市”は〇〇にどのような影響を与えただろうか?」との問いに含まれるいくつかの切り口を抜き出してみます。

第一.そもそも「ハワードが提唱した」というとき、あの空間的ダイアグラムを示すのか、「土地は売らずに公有化し」「都市マネジメント収入で持続的な都市づくりをする」といった都市経営的な理念に着目するのか、さらにその奥に潜む「大都市にあえぐ労働者を救出・救済する」といった思想的な部分に着目するのか。さらにいえば、実際につくられたレッチワースの当時の出来栄えをみてそれを基準にするのか、「その後のレツチワース」や「現在のレッチワース」まで見て評価するのか(⇒関連記事1)。また別の意味として、<田園都市>という語感の良いイメージ先行のブランディングとして用いられることも多々ある。

第二.誰が“田園都市”を実践するのか。直輸入という意味では、今回「注目」していない第4章のザンジバルにおける「Lanchester Plan」が近いです。(この章の著者(⇒関連記事2の著者はその1人)は、このプランが今日まで影響力をもっているものの「上から目線」のプランであって地域住民のことを軽視していると批判)。第1~3章では隣国の“田園都市”がフランス版「田園都市」に変化しつつアフリカ各都市でさらに形を変えて実践されている。第5~7章ではパレスチナの地に移住・入植しようとする当事者が組織をつくって都市経営的に成り立つ開発方式をつくりだしている。「既存都市の外側に」という意味でも“田園都市”に近い。文脈がまったく違うので、あくまで形式的な面としてですが。

第三.その「文脈がまったく違う」という意味では、ハワードの“田園都市”は少なくとも、イギリスの産業革命後の大都市問題の解決をめざしたものでした。条件のおおいに異なる場所で“田園都市”の影響を考えるという設定そのものが、どこまで意味があるのか。(本書では、“田園都市”が提唱される19世紀末から20世紀初頭までの、直接の「影響」が認められうる時代にほぼ絞っている。また、既に研究蓄積のある主要諸国への「影響」をあえてはずしているので、「影響」の程度や内容は弱まるか、かなり別の次元のものになる可能性が高まる。)

第四.とはいえ、“田園都市”の中にある「ニュータウン的」な面を抜き出すと、『practicing utopia』(⇒関連記事3)に出てくる旧ソビエト連邦が広大な連邦各地に築いたニュータウンなども近くなるかもしれない。そもそも「ユートピア」を築こうとするモチベーション全体からみれば、“田園都市”であることにこだわる理由はなく、そのモチベーションに対応した広い意味での「新しい都市」そのものが何だったかを追求することに大きな意味がありそうである。

 

ちょうど先週末、渋沢栄一がパリから日本に帰ってきました(NHK大河ドラマ『青天を衝け』第25回)。西洋的発想と日本的近代(化)精神とが融合してこれから次々と日本の都市づくりをリードしていく様子が描写されるはずです。開国当初には、西洋人の言いなりに一種の“plateau”(横浜山手)などを作る(第1回地所規則では「作らされる」に近かったものが、第2回を経て第3回となるに従い自らの意思と考えに立ち都市計画できるようになってきた。⇒関連記事4)ことになった日本も、自力で独自の「田園都市」をつくるようになっていきます。

 

[関連記事]

1.レッチワース再訪

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20180123/1516698189

2.『AFRICAN CITIES Alternative Visions of Urban Theory and Practice

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20151220/1450603558

3.『practicing utopia』

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20180826/1535285703

4.横浜居留地と都市イノベーション

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20170704/1499160012

 

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