『倭国 古代国家への道』(都市は進化する45)

「5世紀後半から6世紀にかけて、大王を中心としたヤマト政権は、関東地方から九州中部におよぶ地方豪族を含み込んだ支配体制を形成していった」(『詳説日本史』山川出版社p32)とする根拠や地理的・空間的状態の推移などについて、「地名にもとづく王名」を特定しつつ(206あった)、その中からその王族が暮らしたと考えられる「王宮」の場所を59カ所特定し、最新の考古学成果等も取り入れてストーリー(ヒストリー)を構築した(仮構した)書。少なくとも206の王名から王宮の場所を59に絞りその位置関係などの考察を積み重ねて「5世紀後半から6世紀にかけて」のストーリーを描いたという意味では初の書ではないかと思います。これらの王宮は「都市」にはまだ達していない拠点と思われますが、飛鳥の地に都市的拠点が築かれるまでの経緯を体系的に「見える化」したものです。これまで中国が記録していた資料や『古事記』『日本書紀』頼りだった「説」に(できるだけ)頼らず実証的なストーリーづくりにチャレンジした貴重な内容です。

講談社現代新書2634、2021.9.20刊。著者は1970年生まれの古市晃。

 

59の王宮の分類、王宮間あるいは王宮群間の関係と葛藤などについて、1つ1つ積み上げていくプロセスがおもしろいので、それは読んでのお楽しみに。ここでは、「ここが転換点」という1点に絞り引用させていただきます。6世紀初頭のこと。

「継体新王統成立の影響は、中央の王族と豪族のみにとどまるものではなく、地域社会にも広く浸透していったのである。近江、北陸から東海地域におよぶ広大な支持勢力を獲得し、淀川水系・大阪湾岸の拠点化にも成功した継体とその後継者たちの登場は、新たな王統の成立というにふさわしいものであった」(p242)。「古墳の造営とそこで挙行する葬送儀礼によって倭王の権力を示し、かつ政治的連合関係を確認する時代は終わりに向かい、王宮の壮麗化-それは政治装置化といい換えることもできるだろう―が進展する。時代は明らかに転換期を迎えていた」(p245)。

 

本ブログの「日本の都市と都市計画」で抜けていた1部分が仮に橋渡しできそうです。

 

【in evolution】日本の都市と都市計画
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