『インダス文明 文明社会のダイナミズムを探る』(都市は進化する72)

古代都市の盛衰、とりわけ「衰」の原因についてはよくわからないことが多く、「古代インダス文明の都市であるモヘンジョダロやハラッパはバビロンと同じくらい古い時期に栄えたといわれていて、整然とした碁盤目の街路やその中央を走る排水溝で知られています。しかし、メソポタミアの都市に見られるような神や王の支配にまつわる施設がなく、どのようにこの都市が運営されていたのかは謎に包まれたままです」(『初学者のための都市工学入門』2000.2.10発行、p10)との記述から22年後の現在も、「どのようにこの都市が運営されていたのか」についても、なぜこれだけ高度に発達した都市が衰退してしまったかについても、わかっていません。正確にいうと、「わかっていません」というより「多くの断片的証拠は考古学の成果などによってものすごくわかってきてはいるし、衰退の原因についても諸説さまざまなものが繰り返し出てきてはいるものの、それらを貫いて説明できるような共有された「ストーリー」はないどころかますます複雑化・多様化しており、定説の「ヒストリー(歴史)」とはなっていません」という感じでしょうか。2016年の『メソポタミアとインダスの間』(⇒関連記事)は当時、新しい「ストーリー」の仮説のようなものを提示していてとても興味深かったのですが、2022年2月25日が発行日とされる『インダス文明』(雄山閣。著者は上杉彰紀)では、行き過ぎた文明外来説にいくらか釘をさすように、もともとこの地域には多様な文明の芽のようなものがあったのだと、文明内在説の解説を強調しています。このことにより「整然とした碁盤目の街路やその中央を走る排水溝」が外部の技術者等によりもたらされたと仮説する『メソポタミアとインダスの間』は否定も肯定もされていませんが、「なぜこれだけ高度に発達した都市が衰退してしまったか」については諸説を繰り返しつついくらか近年の研究成果を紹介するにとどまっています。1つだけ新たな見方といえそうなのが、こうした「衰退」は突如起こったものではなく長い時間をかけてそうなったのではないかとの見方です。ジワジワと地域内で起こってきた文明の芽に外部の先進文明のインパクトが加わり「高度に発達した都市」が出現したものの、そうしたインパクトは次の時代には弱まり、別の地域にミニ文明的なエリアが出現し、それもまた次の時代には別の地域に移動して、、、と。

けれども、このように新たな知識により細かなことがわかってくればくるほど、「本当に知りたい」ことがぼんやりしてくる。「本当に知りたい」と思っているのは自分の勝手(たとえば古代都市へのロマン)でもあるので、「本当に本当のこと」はある意味あまり「おもしろくない」可能性もある。けれども「本当のこと」かどうかというより「本当に人類にとって重要だと思えるストーリー」は是非紡ぎ出したいという思いはあり、本書『インダス文明』はそれにチャレンジしようとした書として「おもしろく」読ませていただきました。特に、モヘンジョダロやハラッパという特異点だけでなく「インダス文明」そのものの地域的分布やさまざまな証拠品(「文明」の指標となるモノ)の分布、その時代的変遷などが見える化されており、自分で(自分の独自の)ストーリーを考えてみようか、などと思えてくるところがこうした書籍のインパクトではないかと思ったりします。

 

[関連文献]

・『メソポタミアとインダスの間』

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/20160108/1452225986

 

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

 

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