『森と木と建築の日本史』(都市は進化する84)

木を建物に使うのが一般的だった日本の建築史を、「どこからどのように木材は運ばれてきたか」の視点からみることで、日本列島の持続的管理の大切さを強く感じることになる、21世紀型日本建築史。「建築」を「都市」に置き換えた21世紀型日本都市史としても読めそうで、こういうアプローチで本格的な日本都市史、都市計画史を書くとどうなるかを考えてみたくなる楽しい図書です。今、「楽しい」と書きましたが、その突っ込んでいく様子は相当マニアックで、開陳される万物に対する知識は膨大。けれどもトータルにみたときの著者のまなざしにはとても共感でき(というより興味に引きずり込まれ)、一気に読まされてしまいます。

実際、先行して2月に出た同じ著者の『奈良で学ぶ 寺院建築入門』を読み始め「これはなかなかユニークな建築史の本だなあ~。こだわりがすごい!」と、第1章の唐招提寺あたりで止まっていたところ4月20日に『森と木と建築の日本史』が出て追い抜いてしまいました。けれどもさらに実をいうと、『森と木と建築の日本史』のほうも密度高く書かれているので最初スローペースでしたが、目次構成が編年体で構造化されており全体の構成が目でみてすぐにわかるようになっているので、スピードが出るといい感じで(とぎどき飛ばしたりして)読めます。

海野聡著。『森と木と建築の日本史』は岩波新書1926、2022.4.20刊。『奈良で学ぶ 寺院建築入門』は集英社新書1102D、2022.2.22刊。

 

1つだけ書くとすると、東大寺や姫路城などに使われている巨木をどうやって調達するか。古代には「豊かな森のめぐみ」(=第2章)のおかげて近くの森に見つけることができていたものが、中世になると「奪われる森と技術のあゆみ」(=第3章)ということで、技術の向上でなんとかカバーしつつも遠くまでいかないと大木は手に入らなくなり(時々、日本列島レベルでの木材の調達範囲図などが示されとても興味深い)、さらに近世に入ると「荒廃と保全のせめぎあい」(=第4章)の時代となる。そして近代から現代となり、「未来へのたすき」(終章)を示さないといけない時点に私たちは立っている。興福寺中金堂再興では柱はカメルーンのアフリカケヤキ、梁はカナダのイエローシダーに頼らざるをえなかった。こんなことでよいのだろうかと、寺社林をもっと近くに再生させようとの動きがはじまり、伊勢神宮でも将来の式年遷宮に備えた育林事業がはじまっている、、、と。

最新のテクノロジー活用による古材の年代推定(というより確定に近い)話なども盛り込まれ、建築とりわけ古建築を見る目が変わる、都市を見る目も変わる、秀逸な書だと思います。

 

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