2万5000分の1地形図「添牛内」を見ながら考える歴史の進化(北海道イノベーション(その4))

「貴重な駅舎を皆さまと共に築100年を迎えたい」と訴える添牛内駅舎修復のクラウドファンディングは先日目標額を達成して成立。現在、「第二目標」をも少々突破して最後の日を迎えました。こうしてパソコンに向かっている今このときも、続々とクラウドファンディングが立ち上がっています。

さて、あんなこんなで添牛内にいつか行ってみようと、2万5000分の1地形図「添牛内」をネット注文し届いたので広げてみると驚きの内容が。

以下ではこのことも含め、添牛内およびこの町(幌加内町)について3つのことを書きます。

 

1つ目。この地形図を開くと、地図の右下4分の1ほどかと思われる(実際はもっと小さいのだが)「トヨタ自動車試験場」が大きく描かれています。森林と田畑あるいは原野が広がっているイメージだったので(失礼。。)、驚きです。立地しているのは隣の士別市なのですが、GoogleMapでは森林の中に埋もれていて気づきませんでした。面積は1000ヘクタール弱。私の住む町は2000ヘクタールほどなので、町の半分が自動車試験場。マメ粒というよりゴマ粒、いやその10分の1くらいしかない家屋の標記と比べると全く違う世界です。その家屋の方は過疎化で人口減で、、鉄道も廃線となり残された駅舎も倒壊寸前で、、とのストーリーだっただけに、「北海道」というものをもっとちゃんと知らないといけない、と強く思った次第です。

2つ目。その人口減のストーリー。「1800人いた添牛内の人口は43人に激減。この駅舎の存続は添牛内そのものの存続にかかわるかもしれない」と紹介した前回の記事ですが、それを引用した2013.8.1の北海道新聞夕刊には、その43人中13人は中学生で、「ソバ生産軌道 移住者が増加」との見出しで若返りの様子が書かれています。創建100年を迎えた添牛内神社の夏祭りの様子も。「日本一のそばの作付面積」のそのソバを誰がどうやってつくっているかまで想像できていなかった。これまた反省です。いや、反省どころか、「日本の人口減少」だって永遠に続くわけではない。どこかで再生産をはじめるきっかけがあったり時期がきたりするはずである。その最先端と考えれば(ソバもうまいし)添牛内をめざす意義は大きいはず!

3つ目。幌加内町にある3つの日本一の最後の1つ(他はソバ作付面積、日本一の最低気温)、朱鞠内湖は人造湖として日本最大。では、何のために朱鞠内湖をつくったか。朱鞠内湖は結果であって、つくったのは発電のための雨竜第一ダム。ではなぜそのダムをつくったかというと、「苫小牧に製紙工場を建設した王子製紙が電源を求めて大正末期に雨竜川を電源開発」。その資材運搬のために鉄道が必要になり深名線に着手。添牛内駅も1931年9月15日に開業。(その後深名線は廃線となり添牛内駅も老朽化し91歳となりなんとか100歳まで生きようとクラウドファンディングがはじまり私もこのような文章を書いている。)

 

昨日、留萌本線の廃線が決まりました。

けれども本日、おおげさにいうと「歴史は進化する」、その「進化」のきっかけやスピード、内容や空間的な現れはさまざまだけれども、そういう目で先入観なく地域に接するといろいろなことが見えてくることを教えられた気がします。

 

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