関東大震災(1923.9.1)復興関連GIS情報オープンデータ化プロジェクト

さきほど都市計画学会お知らせメールで、標記プロジェクトの紹介および参画の呼びかけに関する情報提供がありました。サイトは以下のように設置されています。
https://sites.google.com/view/kanto-earthquake-gis/

配信されたメールには、以下のような意図が綴られています。
私たちは、100年前の災害復興を振り返るにあたり、火災延焼範囲や復興事業の位置と、現在の都市の関係を改めて把握したいと考えました。そこで、これらの位置や範囲を過去の資料によって把握し、GISデータに変換し、オンライン地図として公開することにいたしました。また、GISデータは原則オープンデータとしてダウンロード可能にしたいと考えています。これらをまちあるきや研究にお役立ていただければ幸いです。」

さっそく上記サイトから「オンラインマップ」にアクセスしてみて、以下のような特徴を把握しました。
・(人手の関係で)東京と横浜を優先的に進めている。
・今後どのようなデータをアップしていくかの予定が書かれている。
・さまざまな情報そのものがGIS上にアップされること自体が重要。
・それらを「レイヤー」で重ね合わせることでいろいろな発見につながりそう。

今後の蓄積・充実に期待します!

 

本ブログでも先週3月31日に、宝永富士山大爆発(1707)のあとの復興で苦労した小田原藩主が三島大社に奉納した(1711)石灯籠を「都市探訪」として取り上げました。
富士山大爆発は南海トラフ地震と連動して起こる確率が高く、そのときの大地震は1707年10月28日(旧暦10月4日)でした。同年12月16日(旧暦11月23日)に噴火ははじまり12月31日(旧暦12月8日)まで続いたとされます。大地震から大噴火がはじまるまで1か月半ほど空いているように見えますが、この間、多くの余震等もあり、「いやな予感」もしたのではないか。また、噴火が終わってからがたいへんで、小田原藩の場合、火山灰が泥流と化して河川氾濫が起こりそこからの復興も含めて相当苦労した。藩だけでは復興は無理なため国の支援を求め、かなりの年月をかけての復興だった。
石灯籠に込められた願いや意図などに関する記録は地元の方も「見たことがない」とのことですが、私たちは、1707年の大災害についてもその経験を学ぶ必要があるのだと思います。

 

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