『「荘園」で読み解く日本の中世』+『荘園』(都市は進化する139)

伊藤俊一著の『荘園』(中公新書、2021.9.21)に続き、『「荘園」で読み解く日本の中世』(宝島社ムック、2023.3.16発行)が出ました。ムックの方はビジュアル重視で見出しも大きくわかりやすくなっていますが、中世のシステム変容がとても複雑で、そうたやすく理解はできないと感じました。もちろん、「それぞれ」についてはピンポイントで何を言っているかはそれとなくわかりますが、次々と新たな用語があらわれ、さらに「では日本全体としてどうなっていたか」とか、t1の時点からt2の時点への変容はどう進行したか、などと考えようとすると、要素が多すぎて困惑します。

 

ということで、1つ前の記事にも出てくる「平城京から城下町へ」の仮説群の、特に2)番。土地を媒介として上から統治するやり方から下から統治するやり方に変わるまでの「数段階のプロセス」をどう理解するかの手掛かりを、2冊の「荘園」本の力も少し借りて2,3書き留めます。

 

第一。あくまで印象ですが、白河上皇の院政期に京都の市街地を東(岡崎・白川)に拡大したことと、荘園制度を緩和して全国に拡大したしたことが時代的に一致しており、地方の開拓・開墾を通しての人口増加や地域経済の発展(や間接的には地域の中心拠点としての城下町)の基礎をつくったととらえるのもよいかもしれない。ちょうどこのあと鎌倉幕府もでき、武士的な力で地方を(下から)治める政治的状況が拡大していくこととも重なる。

第二。(ここも飛躍しますが)特に応仁の乱のあと都から多くの人材や文化が流出して、地方に戦国の拠点化が進みそれが城下町構築の直接的きっかけになる。その際には、第一の変化により地域経済が蓄積され人口も増加し戦える力があるかどうかが問われた。

飛躍ついでに第三に、ここで『女城主直虎』(NHK大河ドラマ2017)を思い出しました。徳川家康が井伊家の本拠地に攻め込み井伊直虎に対峙・対面する場面です。それは、各地に散在していた小規模「城主」を従えつつそれらを束ねて、地域の中心地浜松(当時は曳馬/引間)に浜松城(浜松城下街)を構築しようとする家康の立場と、小さくそれなりに平和だった小規模城主・領地が大きな力に飲み込まれていく際の葛藤や悲しみ、しかしそれを乗り越えんとする決意が交錯する象徴的場面でした。「荘園」本は「第4章 荘園の終焉」で終わっているので、このストーリーの「小さくそれなりに平和だった」時代までを扱っていると考えられます。

 

かなり荒削りで仮説群の2)番的観点にすぎませんが、荒く削った「骨」の部分をよりしっかりさせつつ、いくらか肉付けしていければと思います。

2023年の『どうする家康』ではようやく三河一向一揆を乗り越えました。気持ちはまだ乗り越えていない1564年、23歳の家康です。1570年に家康が浜松城に入るとされるので、間もなく浜松城下町建設時代。ドラマでは都市計画への興味は示されないと思われるとはいえ、注意深く見れば“ポスト荘園時代”への地域社会・経済・政治・文化の移行過程が読み取れるかもしれません!


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【In evolution】日本の都市と都市計画
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