地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

「都市イノベーション・next」(全100話)スタート

『菜の花の沖』から読み取る函館・北海道開発史(北海道イノベーション(その3))

T君(卒業生の1人)の北海道「移住」を祝して(?)「北海道イノベーション」シリーズをはじめます。(その1)(その2)はさかのぼって加えます(下記)。今回は(その3)。

『菜の花の沖』(司馬遼太郎の歴史小説)の描く、18世紀終盤から19世紀序盤にかけての「蝦夷地」とりわけ「函館」の開発史。日本にとっての「北方」の前史。これはペリーがやってきた横浜や函館の開港前史でもあります。

ここでは、『菜の花の沖』(文庫本で6巻ある)のどこに「函館開発史」が埋まっているかを、その文脈も含め大雑把にとらえます。(小説自体とても魅力的ですが、ここではあえて関連部分のみ抽出)

 

蝦夷地の経営を独占していた松前藩。新参者が食い込むのは難しいうえ、その城下松前は良港とはいえず立地も良くない。菜の花がきれいな淡路島出身の主人公、高田屋嘉兵衛は函館に目をつけ、商品流通の拠点化をめざします。「いまこそさびしい浦ながら、ゆくゆく蝦夷地第一等の港市になるにちがいない」「箱館にいそぎ倉庫をつくって貯えるのだ」と嘉兵衛。(3巻p137-206が「箱館」)

ちょうどその頃よりロシアの南下を幕府も警戒しはじめ、七年を限って箱館から知床までの東蝦夷地を松前藩から借り上げる。警備強化のため津軽藩、南部藩、秋田藩、仙台藩に兵を出させた。東蝦夷地の天領化をめざす幕府からの派遣官高橋は言う。「つまりは、かれらの暮らしを賑わさねば、蝦夷びとはロシア人になりかねない」。そうした動きにも乗って嘉兵衛は択捉航路をひらき商売を拡大。箱館もますます賑やかに。(4巻)

箱館上陸から16年。「かれが最初にきたときの貧寒とした海浜が、この十六年のあいだに堂々たる町になった。」(5巻)

  

[関連記事]

・北海道イノベーション(その1) 北海道新幹線

 ・北海道イノベーション(その2) “攻めの廃線”

 

[函館関連]

『文化の樹を植える  「函館 蔦谷書店」という冒険』

「街コン」「街バル」

 

『藩とは何か 「江戸の泰平」はいかに誕生したか』

タイトルから受けるイメージはあまり都市イノベーション的ではありませんが、「これぞ日本の都市が国土レベルの配置とネットワークを伴って誕生した都市イノベーションそのもの」といえそうな重要な書。

藤田達生著、中公新書2552、2019.7.25刊。著者の専門は日本近世国家成立史。

 

これに近い図書として『信長の城』『城下町』がありますが、本書は「日本近世国家成立史」の観点から、現代日本都市・地域・国土構造の起点となった都市の設置、地域システムの改変、国土レベルでの持続的な空間経営システムの構築についてわかりやすく解説した(おそらくはじめての)書。

本書の独自性をまとめると、

第一。歴史学(藩政史)においても本書のような取り組みが意外にもなされてこなかったことが序章(はじめに)で整理されています。

第二。城下町という都市スタイルがいかにイノベイティブだったかが第一章「近世城下町の画期性」で明確に語られます。『信長の城』や『城下町』で個別には扱われていましたが、より実践的・体系的で足元がしっかりしています。

第三。「藩」の公共性が「預治思想」により語られます。天下統一をめざす信長にその起源を見いだし、現代の「地方自治」とも異なる、新しい「国」をつくる中でのダイナミックな地域経営思想のようなものを強く感じます。第2章。

第四。城下町の都市計画そのもの。ただし本書の真髄は、都市計画プラス地域計画。しかも地政学や都市農村計画も含めた、トータルな国づくりの一環としての「藩」という地域開発・経営管理装置のデザインの話。この章(第4章)だけでもかなりワクワクしました。

 

4点書きましたが、まだまだこの書のおもしろさには迫れていません、、、

 

それにしても、現代だったら「そんな金のかかる事業やれるわけないでしょ」と一蹴されそうな大事業を、なぜ計画、意思決定、実行できたのか。その一端は、たとえば第一章の「徹底的な再利用」などからも読み取れますが、もっと知ろう思えば各所にその入口がありそうな、興味の尽きない図書です。

 

「地域価値を高める都市計画」

明日(8月22日)、全国地区計画推進協議会総会で標記のタイトルで話をします。「都市計画」の要素1つ1つは中立的・技術的な道具にすぎませんが、「こういう都市をめざそう」という意識のもとにそれら道具を使うと、その都市らしい、他にない価値の増進ができるという内容。三島市、大磯町、藤沢市、横浜市をとりあげる予定です。

2020年代に向けての重要なテーマ。今回は協議会に参加している行政担当者向けの内容です。

「美の委員会」中間レポートが話題になっています

最近届いた雑誌Planning2019.7.19号をペラペラめくっていると、最初の大きな記事の見出しの「beauty commission’s」という文字が目に留まりました。都市計画の雑誌に「beauty」という文字を見るのも新鮮な(かなり久しぶりな)感じがあるのと、さらにその「beauty」に「commission」がつながっておりどうやら大所高所から「beauty」のあり方をとりあげていそうだと。

これは放置できないと、さっそくその中間レポートそのものを読むことに(⇒資料1)。発行は2019年7月。つい最近です。

最大の関心はまず「美」をなぜ扱うことにしたのか。これが第一の点。第二に、都市計画で「美」をどのように定義するのか。第三に、誰がどのようにその定義された「美」の程度や地域への適合性を判断するのか。そして第四に、そのような都市計画システムは動くのか。

 

まだ「中間レポート」とはいえ、最終レポートは6か月後とされるので2020年早々には公表されるものと思われます。

中間レポートから読み取った上記4つのQのおよその方向は以下のとおり。第一の「なぜ」。やはり量だけが先行する現行システムを大きな問題ととらえたから。そしてあえて事の本質に迫る「美」そのものを取り上げるべきと考えたから。第二の「定義」。これは「美しい建物」「美しい場所」「美しく置かれていること(Beautifully placed)」の(次第に空間スケールが大きくなる)三段階。第三の「誰が」はローカルに政策化して運用。第四の「都市計画システムは動くか」は委員会としては提言までであとは政府の仕事。

Planning誌記事の最大の心配は第三の点。そんな専門家がいるわけでもないのにどうやって調査をしたりシステムを設計したり判断するのか。それを考えると第四の点も。提言を受け取った政府は実行するのか。できるのか。

 

記事としてはそのように心配するのが仕事として、自分としては第一の点がある意味衝撃的でした。「美」を国レベルの都市計画でどう扱うか。扱えるか。扱うべきか。

1890年代にアメリカで起こった「City Beautiful」運動は10年しかもたず、「その後の都市計画への影響」はあったにせよ、システムとしては根づかなかった。それを21世紀の今、なぜあえてとりあげるのか。その意気込みに凄さを感じますが、この「委員会」設置の意図や本気度、あるいは戦略なども知らなくてはと思います。(委員会メンバーは「コミッショナー」3名と「アドバイザー」9名が報告書冒頭に記されている)

単なるレポート止まりになるかもしれないし、これからの大きな議論の出発点になる可能性もなくはない。本当に「next」なものが生み出されるのか、注意深く見守りたいと思います。

 

[資料]

1.「美の委員会」中間レポート

https://www.gov.uk/government/publications/creating-space-for-beauty-interim-report-of-the-building-better-building-beautiful-commission

コロンブスより約500年前にアメリカ大陸に上陸するも<発見>には至らず(『図説・大西洋の歴史』(その1))

日本からさまざまな国に出かけていき、いろいろなことがわかってくる。ヨーロッパのこともアフリカのこともアメリカのことも。けれどもどうしても自分の中で埋められない場所がある。それは、「日本からさまざまな国に出かけていき」ではどうしても埋められない「大西洋」という場所。正確には、大西洋を取り巻く国々や諸都市間の交流や進化。

 

この夏、その「大西洋」について少し埋めてみようと、『図説・大西洋の歴史』という本を読み始めました。マーティン・W・サンドラ著(日暮雅通訳)、悠書館、2014刊。

11章構成の第1章「大西洋-暗黒の海」。この章だけでも発見はいろいろあるのですが、ヴァイキングが西暦1000年頃に北アメリカ大陸に到達していたことが、「大西洋の歴史」的には最大のポイントです。けれども、

「驚くべきは、ヴァイキングが実際にアメリカへ到達したという事実ではなく、彼らがそこへ到達し、しかもしばらく定住しながら、そこが新大陸であることを<発見>しなかった点である。」(1983年に著名な歴史学者が『大発見-世界と人類に関する探究の歴史』で記す)

というのが本書で語られている歴史。コロンブスが登場し、やがて新大陸が<発見>されるまでにこのあと500年もかかったとは!

このことだけでも、この暑い夏を夢中に過ごせそうな気のする、この本の導入部です。

「密集市街地のこれからのビジョンと整備の方向」(『区画整理』2019.7号)

『区画整理』という雑誌の7月号に、密集市街地の地域価値向上をめざして論点を整理した「密集市街地のこれからのビジョンと整備の方向」が掲載されました。

 

『ハピネス・カーブ 人生は50代で必ず好転する』

2019年7月21日の毎日新聞書評で本書を知りました。ジョナサン・ラウシュ著(多賀谷正子訳、田所昌幸解説)、CCCメディアハウス、2019.6.21刊。

原題はそのままですが、副題は「Why Life Gets Better After 50」なので、日本語の副題は微妙に異なったイメージとなります。

それはともかく、年齢を軸に据えて「幸福度」を測定すると、多くの国でそのグラフはU字曲線を描く。第4章がハピネス・カーブそのものの客観的描写にあてられ、国別のカーブの比較なども紹介されています。残念ながら日本は出ていませんが、中国やロシアが含まれています。正確には「U字」というよりも「U」字の底のカーブの部分。何歳が底になるかは国により違いがあるものの、ほとんどの場合、50代頃から「幸福度」は好転しはじめ加齢とともにどんどん良くなる。

このことをどうとらえるか。

本書の第8,9章が直接の処方に言及しているわけですが、むしろ、ハピネス・カーブがなぜU字状になるのかについて最新の研究成果により読み解いた5,6,7章、とりわけ6,7章を「都市イノベーション・next」的に注目したいと思います。

 

[関連記事]

GNHと都市計画 

GNHと都市計画(その2)

幸福の研究 ハーバード元学長が教える幸福な社会 

 ・幸福度」「誇り」とquality of city lifeとの関係 



日本開国と太平洋航路(横浜居留地と都市イノベーション(その3))

2つ前の「アメリカは一日にして成らず」に関連して。

今週火曜日に1コマ担当した、とある研修の場にサントドミンゴ(ドミニカ共和国)からの研修生が含まれていました。まだ行ったことのないカリブのこの都市に興味をもち、あとで調べてみると、この都市こそが、1492年にコロンブスがアメリカを「発見」したあと各地に勢力を拡大していくための拠点都市だったことを「発見」。

一方、アメリカ独立後の西部への開拓で、「指標として大陸横断鉄道がつながった1869年を区切りにしておきます」としたそのエネルギーが、さらに太平洋を越えてグルッとアジアまで達するストーリーは、そこでは考えていませんでした。

1869年といえば明治維新の翌年。なぜ明治維新かといえば、「黒船」がアメリカからやってきて日本に開国を迫り、幕府が倒れて新しい「近代」が訪れたのだと。グローバルに見直すと、ヨーロッパから大西洋を渡ってアメリカを1492年に「発見」したあと、(少し飛んで)アメリカが西へ西へと開拓を進めて太平洋に至り、そのエネルギーで太平洋を渡って日本に開国を迫る(実際にペリーが来たのは逆回りだったが)。その時までに東へ東へと勢力を拡大してきたイギリス等の列強国が日本に到達しようとしていたまさにその時、日米修好通商条約が突破口を開いてオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様な条約を1858年に締結。特に、開港された横浜がその後のエネルギーを受け止める場(都市)になります。そういう意味では、「世界が一つにつながった」のは1492年ではなく1858年だったといえなくもありません。

本当に「世界が一つにつながった」といえるためにはもう一つ。安定的な太平洋航路が確立されなければなりません。ペリーはそうした大陸間関係を築くべく、執念をもって十分な準備のもとに日本にやってきたのですが(『ペリー提督 海洋人の肖像』講談社現代新書1822、2005)、実際に定期航路が拓けたのは1867年のコロラド号から。サンフランシスコと香港を結ぶこの船がはじめて横浜に寄港したのが1867年1月24日。

ヨーロッパからみれば東回りでも西回りでも日本ははるかかなたの地で、日本の開港地横浜が、東回りと西回りのエネルギーを同時に受け止める都市となった。そしてこのことをもって真に地球をグルグル回るという意味で「世界が一体化した」のである。とのストーリーは、かなり大げさながらワクワクするストーリーではあります。

 

[関連記事]

横浜居留地と都市イノベーション(その1)

横浜居留地と都市イノベーション(その2)

 

[参考]サンフランシスコの人口

1848 1000人

1849 25000人

1852 34776人

1860 56802人

1870 149473人

1880 233959人

1890 298997人

1900 342782人

1910 416912人

1920 506676人

1930 634394人

アソビル(横浜駅東口)

また来てしまいました。アソビル。

おとといの、とあるOB/OG会の二次会で来たばかりてす。今、「来た」と書いてしまいました。おととい来たのは地下の別の施設だったので、今日は地下のフード横丁みたいなところ。上の方にもいろいろありそうなので、また来ます。

 

再開発が検討されているものの、しばらく空いている郵便局別館の暫定利用。「都市イノベーション・next」的です!





アメリカは一日にして成らず(アメリカの開拓・都市計画500年史)

1776年7日4日はアメリカ独立の日(⇒関連記事1)。それにちなんで、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」してから21世紀に入るまでの500年を、「都市イノベーション・next」的にまとめます。

 

1492年から115年後の1607年に、北米植民地開拓のため、ロンドン・ヴァージニア会社によって3隻の船で105名の植民団が入植。そのジェームズタウンに最初の町を築こうとします。映画『ニューワールド』はその際の入植者と先住民との交流や確執を描いた音楽の美しい映画で、当時の入植の模様が描かれます。けれども「どこに都市を建設するかで、住民の将来を決めるかもしれないのだから」と、 『ローマは一日にして成らず』で指摘されたように、この場所は定住地には不向きで1699年に近くのウイリアムズバーグに拠点を移動。この間、ヨーロッパではホッブズが国家建設理論の基礎を築き、1776年の独立を思想面で支えます(⇒関連記事1)。1607年から数えると独立までに169年。

このあとのアメリカ開拓史は『勇気ある決断』(⇒関連記事2)で。アメリカをつくった「十大事業」(エリー運河、大陸横断鉄道、ホームステッド法など)が語られます。その際、具体的にどうやって「街」を築いたか(都市計画したか)については『タウンシップ』(ナカニシヤ出版、2015)がいいです(まだ本Blogで取り上げていません)。

ここまでが、どちらかというと「どうやってアメリカは開拓されたか」。指標として大陸横断鉄道がつながった1869年を区切りにしておきます(『勇気ある決断』のp81-82にはそのときのシーンがリアルに描かれている)。1776年の独立から全国土がつながる1869年まで93年。

この頃、ヨーロッパで起こった産業革命がアメリカにも波及して都市が急成長。とりわけ19世紀も後半になると新しい都市計画が必要になってきます。『New Urbanism & American Planning』(Emily Talen著、Routledge、2005刊。関連記事3)はそのあたりから始めて、20世紀末の「ニューアーバニズム運動」に至るアメリカ都市計画の歴史を理論的かつ緻密に描いています。そして現在2019年。1869年から2019年までが150年。

 

まとめると、発見(1492)→115年→入植(1607)→169年→独立(1776)→93年→大陸横断鉄道完成(1869)→150年→現在(2019)。

 

[関連記事]

  1. マグナカルタ(1215)とEU離脱(関連図書『思想のグローバル・ヒストリー』を文中で紹介している)
  2. 『勇気ある決断』
  3. 『New Urbanism & American Planning』