『レオナルド・ダ・ヴィンチ(上)(下)』

「都市イノベーションworld」第100話。

ウォルター・アイザックソン著(土方奈美訳)、文藝春秋2019.3,30刊。

 

7200ページの自筆メモを頼りにレオナルド・ダ・ヴィンチに迫る新スタイルの伝記。その描写を通して、ダ・ヴィンチの何がイノベーションの源泉だったかが500年の時を超えて手に取るように伝わってきます。訳のなめらかさと、500年前のカラーがきれいに見える印刷にも助けられた、秀逸な内容です。

 

ダ・ヴィンチイノベーション力の源を二つに絞ると、第一に、観察。

「キツツキの舌を描写せよ」。これはダ・ヴィンチ・コードではなく、観察ということを象徴するダ・ヴィンチ自身のテーマです。動態視力が恐ろしく良くなければ、また、じっと何時間も集中して観察しなければ、自筆メモのような描写はできません。

第二に、描写。「モナリザ」のダ・ヴィンチから入ろうとしてもほとんど理解不能ですが、本書に示された多くの自筆メモを見ていくと、「そうか。物事をとらえるというのは、こうやって描写することによって(自分もわかるし)万人に伝わることなんだな」ということがわかります。鳥の羽ばたきも、なぜ、どうやって鳥は飛べるのかということも。人間の表情や動きも。谷川の流れも。渦も。

 

ある意味、観察と描写がちゃんとできれば、それだけでイノベーションなのだと。「それだけ」と書きましたが、徹底的で正確な「ちゃんと」でないとダメなので、観察は徹底して、桁違いにいくつも、いろいろなものについて行われる。見えない部分は想像力で補い、矛盾があればまた観察して修正する。その結果、法則のようなものも見えてくる。

また、第二の要素だけとっても、その描写・表現がさまざまな技法やセンスに支えられた高い芸術レベルであることで、観察したことや想像したことがさらに本当らしくなる。逆に、描くことによって発見があり、さらにそこに絞って観察したり想像するとまた発見がある。

こうした知的営みをするには科学だけではダメで、芸術だけでも限界がある。ゆえに、芸術の中心であるフィレンツェよりも、画家、舞台芸術家、科学者、数学者、技術者の集まる「ミラノの知的環境のほうが適している」(下・p149)とダ・ヴィンチは考えていた。イノベーションを促す都市や大学や組織のありようをも示唆する、余韻の残る2冊でした。

 

〈都市イノベーションworld・完〉