『大学は何処へ』を都市計画の立場から読む

新学期がはじまって「対面」中心になりましたが、ゼミ、授業はすべてペーパ―レスとなり、会議の多くもオンラインでペーパーレス。「どこにいるか」とは無関係に、今までできなかった(さぼっていた??)ことができるようになりました。

『大学は何処へ -未来への設計』(吉見俊哉著、岩波新書1874、2021.4.20刊)は、「複雑骨折」状態にある現在の日本の大学に「ビジョン」を取り戻すべく、こうした問題に立ち至った歴史的ルーツを探りつつ、コロナ禍で培った「「どこにいるか」とは無関係にいろいろなことができるように」なった力をどのように発揮すればよいのかを論じた書です。基本は大学論なのですが、都市計画の立場からとりわけおもしろいと感じた第3章「キャンパスは本当に必要なのか -オンライン化の先へ」をめぐって、いくつか書き留めます。

 

第一。世界の都市をキャンパスとしているミネルバ大学の事例。「世界の異なる文化の諸都市に学寮を設置し、それらの都市の企業やNPOと連携関係を保ちながら、学生たちが諸都市を渡り歩いてフィールドワークを重ねていく」(p147)。これは中世のヨーロッパ諸都市を旅しながらエキスパートのもとで学んでいく「カレッジ」の現代版ともいえそうなこと。実際どのような大学なのかにも興味が湧きます。

第二。そのミネルバ大学の事例では諸都市に設置する「学寮」こそがカレッジの拠点である、とされること。

そして第三。「ミネルバ大学は実空間としてのキャンパスがなくても、世界の都市がキャンパスとなり得ることを実証した。「書を捨てよ、町へ出よう」ではなく、「オンラインの学びを携えて町へ出よう」なのだ」(同)。ここでは都市がフィールドとなり、携えてきたノートパソコンなどのモバイルは世界最先端の(といわないまでも「座学」で教えられる)理論や知識へとつながっている、とのイメージです。

 

明日からまた東京都などでは「緊急事態宣言」。「オンラインの学びを携えて町へ出」るためのウォーミングアップ期間はまだ続きます。コロナ禍で鍛えられた(まだなお鍛えられつつある)成果を、さらにいろいろなフィールドで応用し、修正し、増強し、連携して、世界中の「住みたい都市」づくりにかかわれる日がくるものと期待しながら。

 

 本記事を「ポスト・コロナ社会の新ビジョン」に追加しました。

https://tkmzoo.hatenadiary.org/entry/2020/05/05/121753