小笠原 空港物語

いつも使っているS駅構内で、「小笠原諸島特産 島檸檬醤油」という醤油を買いました。正確にいうと「買いました」というより、「傍らを通過する際に買っていました」という感じです。

小笠原、行きたい。(←まだ行ったことがない)

 

前から空港話があったので、もうできたのかと思い聞いてみると「船しかない。24時間かかる」。昔は1日目の夜に出て3日目の朝着いていたので随分早くなったなぁ、と思いつつ、空港話はどうなっているかとても気になり、短縮版で書き留めておくことにしました。ブータンもそうですが、「隣のネパールみたいにオーバーツーリズムで環境破壊されたくない」という思いで、飛行機による入国者数を強く制限している(その分、コストはとても高くなる)。小笠原にはまだ飛行場はないので(作らせていないので)、24時間かかる小笠原丸により入島者数を制限し、加えて飛行場建設による環境破壊を回避している。これからの持続的な地域振興とは、こうした難しい課題をどうやってスマートに解くかということかもしれません。

 

以下、「小笠原 空港物語」の、1990年以降の短縮版です。(参考資料:タビリス2020.8.15記事。この記事では「物語」仕立てではなく、「〇〇フェーズ」という表現・区分は行っていません)

第一フェーズ。1991年に国の「第6次空港整備五か年計画」に予定事業として採択され、1995年に空港の位置を兄島に決定。ボーイング737クラスの中型機を想定した1800メートルの滑走路を建設。兄島と父島の間にロープウェイをつくる構想まであった。しかし環境破壊が危惧され撤回。

第二フェーズ。1998年に、父島南部の時雨山が建設地候補に。しかしそこは水源地であり、たとえつくるとしても建設費がかさむため2001年に撤回。

第三フェーズ。これが一番悲しいです。飛行機がダメなら高速船で、ということでテクノスーパーライナー(TSL)が計画され2004年には進水式まで行った。しかし重油が高騰し運行すれば大赤字。2005年には東京都も支援を断念して、115億円かけたこの船はほとんど活用されることなく2017年に解体。

第四フェーズ。やっぱり飛行機。島民の支持も得て2006年に「小笠原諸島振興開発計画」に検討を明記。2008年には「小笠原航空路協議会」を設置。さまざまな計画案を検討。しかし2010年の第5回協議会を最後に空港計画停滞。

第五フェーズ。2016年に小池知事が就任。空港建設に前向きな姿勢を示すと2017年に久しぶりに第6回協議会が開催され、50人乗りのプロペラ機が離発着できる1200メートル程度の滑走路を想定。さらに短くできないかと2018年の第7回協議会で1000メートル案公表。実際の機材を探しATR42-600型機(48席)であれば800メートルまで短縮でき2022年に納入可能と想定。(コスト問題は残る。滑走路建設はかなり長期を要する。)

第六フェーズ。2020年7月の第9回協議会でAW609型機であれば垂直離発着が可能。滑走路はゼロメートルでもできる。ただし小型化せざるを得ず定員は最大9席。こうなると、島民の緊急時移送用という感覚に近いかもしれません。そうすると、コストを誰が負担するのか。

 

もう少し検討は進んだのかもしれませんが、S駅で「小笠原諸島特産 島檸檬醤油」を購入し「小笠原、行きたい」と思った本日時点で、たとえば、「まずは災害用・緊急用にAW609型機を導入することも選択肢として詰めつつ、ATR42-600型機(48席)のような航空機を想定して800メートル程度の滑走路またはとことんそれを短くして建設可能な場所や工法などを検討してみる」というあたりで検討が進行しているのでは、と思われます。

21世紀も20年が過ぎ、こんなにテクノロジーも進歩したと思っていたのに、1991年から30年も検討しているこの課題は結論に至っていない。第六フェーズまで検討されたとはいえそこで出されている選択肢はそう多くはない。「地域の自然環境を守りつつ緊急時にも対応でき日常的にも特に島民の利便に貢献する航空便」の物語はまだまだ続きそうです。

 

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