『教養としてのAI講義』+『相対化する知性』= AIは世界をどう変えるか

2022年のスタートは、先進学環で学ぶT君との年末の会話から。

私 : あの羽生がAI時代の将棋に苦しむ姿を見て(←12月19日放映NHKBS「羽生善治~天才棋士50才の苦闘」)、この年末年始はAIにどっぷりつかることにしたよ。まず『教養としてのAI講義』を買ってみたところなんだ。なんかいい本知らない?

T君 : (スマホを動かして)この人の話、オレ的には結構好きです。

私 : どれどれ(スマホを検索)。出てこないけど。

T君 : 先生。それ、違います。「松岡」ってなっていますよ。「松尾」です。

私 : アレっ。(検索のトップが違う名前になっていた。AIを使い慣れていない証拠。)

 

ということで2番目に購入したのが『相対化する知性 人工知能が世界の見方をどう変えるのか』(日本評論社2020.3.25刊。3人による共著で、第2部が松尾豊著)。

『教養としてのAI講義』のほうは日経BP2021.2.15発行。メラニー・ミッチェル著。

そのほかにもAI関係の図書に囲まれ、たとえばバルセロナ都市計画ではどこでどのようにAIを使っているのだろうかなど(のどうやってAIを使うかということ)も知りたいけれど、せっかく年末年始でもあるので、そもそもAIが社会をどう変えるか、都市はどうかわ(りう)るか、そもそも「科学的」認識はどうなりそうか、人間とAIの関係はどうなりそうかなどについてもっと知りたい、、との興味で『教養としてのAI講義』『相対化する知性』(特に第2部)を読み終わった時点での中間報告です。『教養としてのAI講義』は、私のようなAI音痴でも「これまでのAIの歴史と技術的取り組み内容と昨今の発展と課題」がスラスラと語られ理解しやすく、『相対化する知性』を読むための基礎編としてとてもよかったと思います。特に、著者メラニー・ミッチェルが、その恩師でありAIの草分け的存在であるホフスタッターの“AI観”を受け継ぎつつ独自な方向に向かう姿や、AIの意義に重心を置きつつAIの脆弱な面や脅威についてもバランス良く講義している様子は、この本の魅力だと思います。

 

『教養としてのAI講義』の理解のうえに、『相対化する知性』第2部の議論を少し垣間見ると、、、

1つ目。冒頭の「AI時代の将棋」。AIは何をどう考えているか(計算しているか)。

「人間が人工知能を理解する方法はあるのか?」⇒「人間の側が新たな階層性を構築・発見するしかない」(p189)。2021年11月に「竜王」となった藤井聡太氏は、これまでの棋士たちが到達できなかった「新たな階層性」(の手がかり)をAIも参照しながら発見・構築しようとしているのでしょう。

『相対化する知性』第2部の議論は壮大です。2つ目。

「人工知能の登場を契機として、人間の知性の働きが相対化されることとなった。その結果、脳の働きは特別なものではなくなり、認識の対象となる生命体などの物質と同型だと考えることができるように」(p162)なった。

 

『相対化する知性』第2部で展開される議論はまだ仮説だらけで粗削りではありますが、「資本主義の限界」「地球温暖化問題」「多様性の消失」といった現代の喫緊の課題を、最も深い「人間の知」そのものの位置づけを問い直すことからスタートして乗り超えるための補助線を引いたという意味で、また、AI時代のさまざまな可能性を理論的に示しているという意味で、仮の出発点としたいチャレンジングな作品だと思います。

 

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