都市はAIである。 (AIは世界をどう変えるか(その2))

「特化型AI(弱いAI)」(たとえば将棋名人を寄せ付けないAI)も、ビッグデータ(過去の対局すべて)をもとに最も勝ちにつながる確率の高い「次の」指し手を高速計算して「今」判断するというアルゴリズムをもとに、その膨大なデータを「学習」しなければならない。しかもその振る舞いはまるで機械そのもので、温かみも何も無い。「温かみ」を装うことに特化したロボットなども出てきているとはいえ、それはアルゴリズムでそうしているだけで、なかなか「本物」には近づけない。では、人間に近い「汎用型AI(強いAI)」をめざして、自発的に「学習」するとはどういうことかを考えようとすると、実は、人間が「学習」するとはどういうことなのかはよくわかっていない。

ということで棚いっぱいに並んだAI本をパッと見て目に入り年末に買ってあった『脳はこうして学ぶ 学習の神経科学と教育の未来』(スタニスラス・ドゥアンヌ著/松浦俊輔訳。森北出版2021.2.26刊)を読んでみました。2カ所だけ引用すると、

「最も先進的なコンピュータ・アーキテクチャでも、人間の子どもが持つ、世界について抽象的モデルを立てる能力には及ばない。」(p15)

「見かけには騙されてしまいがちであるが、新生児の脳は未熟だが、そこにはすでに、長い進化の歴史から受け継いだ相当の知識がある。しかしこの知識は赤ちゃんの早期の行動には表れ出ないので、結局はほとんど見えない。」(p84)

この分野の最新の科学的成果が濃密に解説されたこの本は、それ自体がおもしろく、特に、人間が「学習」するということを最も深いレベルで明らかにしたその成果と、「AIに学習させる/AIが学習する」こととの隔たりに愕然としました。AIは将棋名人に勝てても赤ちゃんには勝てない。

 

などと考えているうちに、ふと、標題の「都市はAIである。」という発想が浮かんできました。「(特化型)AIにより都市はこんな風に変わるんだ」という情報は2022年初頭の時点でかなりあふれているし実際多くの場面で使われ出している。けれども『脳はこうして学ぶ』に書かれている「学習」について考えていくと、都市は学習し進化している。上記2つの文章に「都市」を入れてみると、

「最も先進的なコンピュータ・アーキテクチャでも、都市が持つ、世界について抽象的モデルを立てる能力には及ばない。」

「見かけには騙されてしまいがちであるが、都市が考える力は未熟だが、そこにはすでに、長い進化の歴史から受け継いだ相当の知識がある。しかしこの知識は都市の普段の行動には表れ出ないので、結局はほとんど見えない。」

 

おお、これは、、、。

東京スカイツリーから見た東京の姿は、かなり抽象化されて見え、まるでコンピュータ回路そのものでした。東京タワーから見ると、「あっ、そこにプリンスホテルが見える」などと風景が具体的なのですが。「都市はAIである」。ビッグデータが日々生産されさまざまな計算機によって計算され人々の生活に影響していく。よく見ると、グローバル経済に乗り遅れまいと思考する回路がそこに浮き出して見える一方、日々の生活をなんとか乗り切ろうと悪戦苦闘する回路も背景に見える。両者はせめぎ合い、ところどころで火花が散っている。

都市計画とは、こうした都市に少しだけ働きかけて(AIの「教師あり」ディープラーニング)価値のぶつかり合いを緩和させようとしたり、特定の価値増進に奉仕したりする。

 

「年末年始はAIにどっぷり」つかっていたところ、もう「仕事始め」になってしまいました。けれども「鏡開き」は11日なので、もう少しつかることができればと思います。

 

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