『世界は「関係」でできている』+『時間は存在しない』(AIは世界をどう変えるか(その3))

最近ド派手な本が積んであるな、と思っていた本を、めぐりめぐって読むことに(『世界は、、』はカルロ・ロヴェッリ著、NHK出版2021.10.30刊)。直接のきっかけは松尾豊氏の第二点目の議論(←1月1日の記事中)。面白かったので、1つ遡って『時間は存在しない』(同、2019.8.30刊)も読んだらさらに面白かった。

ということで、最も記憶に残った『時間は存在しない』の以下の文章から。

「自然はそこに存在しており、わたしたちはそれを少しずつ発見してきた。かりにわたしたちの語法や直感が自分たちの発見した事柄に馴染まなかったとしても、それはそれ、馴染もうと務めるしかない。現代のほとんどの言語では、動詞に「過去」、「現在」、「未来」の活用がある。だがこのような語法は、この世界の現実の時間構造について語るには不向きなのだ。なぜなら現実は、もっと複雑だから。このような語法は、わたしたちの限られた経験をもとにして作られた - 自分たちの作っているものが正確さに欠け、この世界の豊かな構造を把握しきれないということに気づく前に作られたのだ。客観的で普遍的な現在は存在しない、という発見を掘り下げようとしたときにわたしたちが戸惑うのは、ひとえに過去、現在、未来という絶対的な区分にもとづいてつくられた語法に従っているからだ。このような区分は、じつはある程度までしか有効でない。自分たちのすぐそばの「ここ」においてのみ有効なのだ。」(p111)

この文章の行間に(その1)から続くこれまでのエッセンスを入れ込んでみると、、、

「自然はそこに存在しており、(自然の一部である)わたしたちはそれを少しずつ発見してきた。(そのためには一旦自然を抽象化して、実験室の中でさまざまな「法則」を発見し、発明を繰り返すことで科学技術の急激な進化をもたらし、世界の近代化を遂げた。AIの進化もその延長上にある。けれどもまだまだわからないことだらけで、時々、理解が困難な現象も発見される。しかし、)かりにわたしたちの語法や直感が自分たちの発見した事柄に馴染まなかったとしても、それはそれ、馴染もうと努めるしかない。(なぜなら人間は自然界の外側から内側を観察しているのではなく(実験・思考する際には便宜上そうしたかもしれないが)、人間は自然の一部なのだから。同じように、)現代のほとんどの言語では、動詞に「過去」、「現在」、「未来」の活用がある。だがこのような語法は、この世界の現実の時間構造について語るには不向きなのだ。なぜなら(人間が誕生する前から存在していた)現実は、もっと複雑だから。このような語法は、わたしたちの限られた経験をもとにして作られた - 自分たちの作っているものが正確さに欠け、この世界の豊かな構造を把握しきれないということに気づく前に作られたのだ。(時間は存在しない。世界は「関係」でできている。)(AIに人間の知能を学習させようとすればするほど、人間がいかにこの世界の豊かな構造を把握しきれていないかを思い知らされる。けれども逆に、AIの力を借りて特定の分野においてならその豊かさを広げることもできる。「人工知能の登場を契機として、人間の知性の働きが相対化されることとなった。その結果、脳の働きは特別なものではなくなり、認識の対象となる生命体などの物質と同型だと考えることができるように」(『相対化する知性』p162)なったのだ。) 客観的で普遍的な現在は存在しない、という発見を掘り下げようとしたときにわたしたちが戸惑うのは、ひとえに過去、現在、未来という絶対的な区分にもとづいてつくられた語法に従っているからだ。このような区分は、じつはある程度までしか有効でない。自分たちのすぐそばの「ここ」においてのみ有効なのだ。」