諏訪の御柱祭

「善光寺御開帳 七年に一度の盛儀」という広告を最近JRの車内で目にしました。

あれっ?

つい先日、諏訪大社の御柱祭が今年開催されており、あの有名な「木落し」はコロナ対策でとりやめとなり代わってトレーラーに載せて御柱を運んでいる様子をテレビで見たばかりです。こんな感じで2つの行事が重なった記憶はなく「ヘンだな」と思い調べてみると、善光寺御開帳は本来なら2021年だったものがコロナの影響で今年になったのだと。

しかしそれだけでは「2つの行事が重なった記憶はなく」の理由の一部でしかなく、これまでずっと重なっていない証拠にはならないのでさらに調べてみると、善光寺御開帳は丑(うし)年と未(ひつじ)年、御柱祭は寅(とら)年と申(さる)年と、1年ずれて6年おきに行われる儀式であることがわかりました(子丑寅卯辰巳午羊申酉戌亥)。「七年に一度」というより普通の感覚では「6年に1度、12年で2度」です。これであれば千年やっていても2つの行事が重なることはない。

そうこうしているうちに、「木落し」だけが印象強い御柱祭が2か月半もの間この地域で行われていること(2022年は4月2日から6月15日)、切り出す16本の御柱にそれぞれの意味や行先、位置づけがあり、祭りを担う地域の役割にも独特のルールがあり、御柱祭は諏訪地域をあげての行事であることなど、祇園祭と同じように「祭」の全体像に興味が湧いてきました。さかのぼると、2年前にはどれを次の御柱にするかの選定(の前段のようなもの)がはじまり、もっとさかのぼれば、御柱に成長するまで200年ほどもかかるのを見越して常に植林や森の管理もなされている。一方、6年経って役目を終えた御柱は全国の諏訪神社等に引き取られたり大切に加工されてお守りになったりなどと、いわば「御柱の一生」のようなものがある。それは、何百年ものスケールでの、地域に根差した大きなストーリーです。

驚いたことに、諏訪地域では規模こそ小さいもののあまたの御柱がそれぞれの地域での儀式などを伴いつつ、さまざまな形で立てられているようで、諏訪という国をあげてのシステムというか文化~もっというと独自の文明のようなもの~があるように思えてくる。実際、古代史を紐解くと、もっともっと深い御柱の意味があると言われているようで、深みにはまりそうです、、、。

 

 

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