『関東大震災鉄道復旧工事写真帳』

2022年10月14日は、日本最初の鉄道が汐留(新橋)-桜木町間を往復してから150周年ということで、各地で記念行事などが行われています。横浜都市発展記念館で開催されている「横浜鉄道クロニクル 発祥の地の150年」もその1つで、ある「見たいもの」のために500円の入場券を買って入場。けれども自分が「見たい」と思っても展示されているとは限らず、お目当てのものがなかったとガッカリして帰ろうと1階に戻ると、こちらは無料で、パネル展「関東大震災99周年 寸断された大動脈-東海道本線の被害と復旧」という写真展をやっていました(こちらは関東大震災の「9月1日」に合わせてはじまる)。

いつも市街地の被害ばかり見ていたせいか、鉄道被害の写真そのもの、およびそこから漂ってくる大震災の破壊力のすさまじさ、さらには多くの写真に写っている99年前の人々の様子、表情、そこから察せられる当時の状況に強く引き付けられました。なかでも茅ヶ崎-平塚間の相模川にかかっていた「馬入川橋梁」の被害写真が印象的で、せめて資料集の形でもと、『激震、鉄道を襲う! 関東大震災と横浜の交通網』の資料を購入しました。「横浜の交通網」とのタイトルがついていますが、内容はそれにとどまりません(詳細は後述)。「馬入川橋梁」についても「20」番として掲載されています(パネル写真の印象の方がかなり強い)。「17」番の「横浜駅のプラットフォーム」も強い印象を与えます。その他、どれも貴重な写真です。99年前の写真技術はこんなにレベルが高かったのかと驚かされます。

今でもよく通る区間なので、次に来る大震災でそれぞれの場所はどのようになってしまうのかと怖くもなります。「現代技術で相当丈夫になったんだから大丈夫だよ」と言い聞かせる自分と、「いやいや、被災するのはいつも弱いところだから、想像以上の、いや、想定外のさまざまな被害や不具合が必ず発生するぞ」と戒める自分が拮抗します。

 

今回元となった資料は2つあり、特に東海道本線の被害については、K氏(あとで出てくる木村氏のご子孫)が所蔵していた『関東大震災鉄道復旧工事写真帳』によるとのこと。最後に、この資料を解説した文章を引用させていただきます。「鉄道省の技師(関東大震災時は技手)であった木村義麿が所蔵していた写真帳。2冊の写真帳に304枚の写真が収められている。写真の内容は国府津以西の東海道本線(現在のJR御殿場線)、熱海線(現在のJR東海道本線)の被害及び復旧状況が中心で、横浜市周辺の状況も若干含まれる。国府津改良事務所に所属した義麿は、東海道本線や熱海線の復旧、改良工事に従事しており、仕事の関係から写真を入手したと考えられる。」(なお、「20」番の写真はこの2冊の写真帳の1つから、「17」番の写真は、もう1つの資料である『大震火災電気鉄道被害状況』から転載されたものです。)

 

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