海柘榴市(つばいち)と仏教伝来

何度も出てくる「海柘榴市」という文字に引き付けられつつも、まったく読めず、意味もわからず、けれども「せっかくここまで来たのだから行ってみよう」と訪れたこの場所に、古代の都市的・歴史的重要機能が凝縮されていることを“発見”しました。

現在見える風景は、幹線道路が川を渡る、田圃で囲まれた日本中によくあるなんでもない風景なのですが、この辺に「日本最古の市」が立ち、この地点に仏教が伝来した、と。
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いろいろ情報を集めてみて、ようやく事の重要性が理解できてきました。
時は6世紀はじめ。

飛鳥の地に代々の天皇が住まうようになり、「都市」とは呼ばれないものの「都」の様相を持ち始めた頃、難波津から大和川を遡上してきた舟がここ海柘榴市あたりに着く。その舟には日本に仏教を伝えるべく百済からやってきた使者が乗っていた。地図を改めてよく見ると、この付近は奈良盆地の東の山裾のタテのラインと、大和川から伊勢方面に抜けるヨコのラインが交わる地点にあり、飛鳥の「都」への入口にあたる。その入口に「市」が立つのだから、「都」と「市」をくっつけて「都市」を構成するヘソのような場所だったと言えなくもない。
飛鳥から藤原京へと連続的に進化する過程においてもこの海柘榴市は港湾+市として機能していたとすると、その風景をもっと想像してみたくなる、、、

現在、飛鳥から藤原京時代の文化遺産を世界遺産に登録しようと、2025年をめざして活動が展開されています。「海柘榴市」や「そこにあった港」は見ようにも「幹線道路が川を渡る、田圃で囲まれた日本中によくあるなんでもない風景」にすぎず世界遺産構成要素ではないようですが、「港」「市」あってこその「都」と考えるストーリーもなかなか面白そうだと、一人思うところです。

 

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【In evolution】日本の都市と都市計画
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