『リベラリズムへの不満』(都市は進化する164)

2023.5.27の日経新聞「読書」欄に書評が出ているのを見て、これは重要そうだとすぐに読んでみました。フランシス・フクヤマ著、新潮社2023.3.15刊。会田弘継訳。

原題は「LIBERALISM AND ITS DISCONTENTS」なので、ほぼそのままです。

既に2か月以上前に日本語訳が出版されているため、いわゆる「書評」などはたくさん出ています。日経新聞の書評もその1つで、「左右の攻撃で失われた原理」との小見出しをつけつつ、「とりわけ左派の思想と行動がリベラリズムを損ねてしまっているという本書の分析は重要だ」ととらえています。それはそれとして、、、

やはり、「リベラリズム」を正面から論じた本書に出会えたことをうれしく思います。特に「リベラリズム」と「民主主義」とを明確に分けたうえで、(特にアメリカにおける政治的な分裂状況は)、「右」にも「左」にも行き過ぎた結果であり、お互いに相手に対して強い不寛容に陥っているとしたうえ、「(古典的)リベラリズム」が本来持っていた「寛容」「中庸」の精神にまでさかのぼって解決への糸口を探っています(第10章 自由主義社会の原則)。

 

「右」からも「左」からも強い不寛容に陥っているアメリカ社会の分析が本書の主要部を占めており、「その理解に基づいて、現在の不満や不安を軽減するための政策対応について長いリストを作ることができる」(p184)けれども、「具体的な政策立案の指針となるべき一般原則を示してみたい。基本的な理論から導かれる原則である」(同)というスタンスで結論が語られます。本当に知りたい(求めたい)のは「長いリスト」と「一般原則」の間にあるより実践的・現代的なリベラリズムではありますが、それは本書の意図を超えた課題なのでしょう。

 

3つほど、その原則に関する内容で重要と感じた点を記します。

第一。第1章「古典的リベラリズムとは何か」。この章そのものが何度も読み返したくなる内容で、特に「リベラリズム」の歴史的進化を骨太にたどることにより、それが「リベラリズム」の未来へのエネルギーへと連なるのを感じました。「リベラリズムという思想は何世紀にもわたってはやりすたりを経験してきたが、その根底にある強さゆえに常に復活してきた」(p30)。

第二。同じ第1章で定義される「リベラリズム」。「民主主義とは、国民による統治を意味し、こんにちでは、普通選挙権を付与したうえでの定期的な自由で公正な複数政党制の選挙として制度化されている。私が用いている意味でのリベラリズムは、法の支配を意味する」(p20)としています。従って、両方が成り立つ場合は「リベラルな民主主義」だし、法の支配が弱い場合には「非リベラルな民主主義」となる。

第三。具体的にみようとした場合、第1章で「何世紀にもわたってリベラルな社会を正当化してきた三つの要素」として著者があげている「実践的な合理性」「道義性」「経済」がその手がかりとなる。「実践的合理性」とは「多元的な社会における多様性を平和的に管理するということだ」(p24)。「道義性」とは「市民に平等な自律の権利を与えることによって人間の尊厳を守る」(p26)。「経済」とは、財産権が保護されることによって経済成長と近代化が可能となる(p28-30)。

 

 

🔖検索 「リベラリズム」「共生」「寛容」「民主主義」「都市計画  理論」