関東大震災の本震(11時58分)の直後(12時1分)に起こっていた首都直下地震の話

5月10日に発売された『関東大震災がつくった東京 首都直下地震へどう備えるか』(中央公論新社、著者=武村雅之)において、「関東大震災」とおおざっぱにとらえられている大地震の、本震に続く1つ目の余震が実は、現在考えられている「首都直下地震」に近いものだったとする研究成果が、論文としてではなく(論文は1990年代)、読み物としてわかりやすく書かれているのでそれについて正確に書いてみます。

2011年の「東日本大震災」でも、(横浜にいた感覚でいうと)前半の大きな5分くらいの揺れに続いて、さらに大きいと感じられる後半の揺れが(感覚的には)5分くらい続きました。これらよりはじめて、大地震というのは1回のまとまりというより、連続する揺れの固まりであることを体感しました。これと同じように、関東大震災も揺れの解析が進み、いくつもの揺れが連続して起こったものであることがこの本の23頁に表としてまとめられています。なかでも「A1」「A2」とされる12時1分と12時3分の「余震」は、本震が11時58分32秒とされるので、およそ3分後と5分後に起こっており、まとめて「関東大震災があった」とされているものと考えられます。築地本願寺で「A1」の揺れを感じた九条武子が書簡の中で「第二震で、私のすまいの屋根の瓦や壁は大方振り落とされて、五分間ほどの間にあばら屋の様になりました」と述べており「京橋区全体の震度は5であるが、埋め立て地である築地の震度はA1余震の影響で震度6に達していたことも考えられる」とされます(p23)。東京市15区の被害をまとめた表1-6(p28-29)では最大の被害を受けた本所区の震度を「6強」としています。

この「A1」の震源地は「東京湾北部」でマグニチュード7.2とされます。現在想定されている首都直下地震に近い地震だったと考えられます。

なお、12時3分の余震「A2」のほうはマグニチュードは7.3ですが山梨県東部のため、「A1」の揺れを感じていた東京では「A2」のほうは人体にはそれと分けては感じられなかったのではないかと想像します。これに対して12時48分の余震「A3」はp23の図1-3では「A1」のすぐ南の東京湾で起こったマグニチュード7.1で、「被害など」欄では「本震の被害と区別できず」と書かれていますが、それを感じた側からみると、「A1」の揺れが去って40分後くらいに少し弱めとはいえまた「首都直下地震」が来た恐怖に見舞われたのではないかと想像します。翌日の「A4(千葉県勝浦沖)」「A5(千葉県東方沖)」と続き、このあとはしばらくマグニチュード7以上の余震は空いて「A6(丹沢山地)」が翌年1月15日に来てそれはそれで死者19名を出したものとされます。東日本大震災でもそうだったように、本震後の余震は小さなものまで入れればかなり頻繁だったものと想像されます。

少し気がかりなのは、倒壊と火災の関係です。

(おそらく「A1」の首都直下地震の方が最大震度に地結果したと考えられる)震度「6強」だった本所区の「全潰率」は21.9%と東京市15区の中では最大で、多くの地点から出火してその日のうち(9月1日)に延焼し、「地震によって地盤が悪いところでは住家が倒壊し、次々に延焼火災が発生して、混乱のなかで多くの犠牲者を出した」(p28)ことがp30の「東京市における火災動態地図と死者数の分布」図を示しつつ説明されています。

 

昨年2022年5月に発表された「首都直下地震等による東京の被害想定」をよく読むと、火災被害もさることながら建物倒壊による被害のほうが明確に大きく出ていることがわかります。建物倒壊と火災被害が重なるとき、「A1」の首都直下地震で見舞われた被害に近い場面が現代東京においても現出する可能性があります。1995年の阪神・淡路大震災でも直下地震で木造家屋が倒壊したあと火災に見舞われたケースも少なくありませんでした。

2023年9月1日を前に、「関東大震災」の中に「首都直下地震」が混じっていたことを読み物としてわかりやすく説明した本書は、これから起こるであろう首都直下地震へのヒントを示す貴重な図書だととらえます。

 

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