『旧芝離宮庭園』×『旧芝離宮庭園整備計画』(都市は進化する266)

(旧)貿易センタービルの解体工事も終わり、いよいよ浜松町駅一帯の再構築の姿が日に日にあらわれるようになってきました。羽田空港からのモノレールが発着するこの場所は、「品川フィールド」とともに内外からの「陸のゲートウェイ」であるのと同時に、「Vision 2034 Tokyo」では、海に面する竹芝方面から陸側に向かう「海のゲートウェイ」としています。

それら2つのゲートウェイが交差する場所に、「旧芝離宮庭園」があります。近年、浜松町駅から竹芝方面に向かう空中歩廊が整備されたため、これまではひっそりと忘れられていた感のあるこの庭園が、他にはあまり例のない形で斜め上から眺められるようになり(⇒「俯角庭園」都市探訪236)存在感が高まってきているのではないかと思います。

正式名称「旧芝離宮恩賜庭園」。名称にぎっしりとその歴史が詰まっているこの庭園については、『旧芝離宮庭園』(東京都公園文庫36、1981。改訂版2011。著者は小杉雄三)が詳しく、江戸時代の屋敷地が明治に入って、一時期「離宮」だったものが下賜されたため「恩賜」がついた。(けれども浜離宮のほうには「旧」がついていないのに芝離宮のほうにはついているのはなぜでしょう??)

この図書の最後に小杉氏がつぶやいている以下の一文がとても印象的です。

「戦災や理不尽な敷地の蚕食は、人理に欠けた結果にほかならない。この庭園の現場と将来が我々の手にゆだねられているからには、その時々の時流に流され、あるいは、単なる懐古の情だけに頼り、あるいは無思慮な破壊の愚をおかすことなく、百年の先を見通す目でこの庭をもう一度見つめなおしてみようではないか。」(p122)

 

その、「もう一度見つめなおして」みる機会が、今、訪れています。

『旧芝離宮庭園整備計画』(東京都、2020.3 ⇒資料1)は、確定的な整備内容を示すというよりも、これからの発掘調査や状況変化なども勘案しながら計画の深化・具体化をはかっていこうとしているという意味で、「整備基本構想」に近いものととらえます。けれども「構想」であるがゆえに、「百年の先を見通す目で」しっかりと庭園のあるべき姿を示していると思います。特に、17頁の図をみると、現状の「旧芝離宮庭園」の範囲にとどまらない将来ビジョンが示されていて、このようにかわると、単なる1つの庭園にとどまらない大きなインパクトがもたらされると感じます。

貿易センタービルの再開発は「都市再生特別地区」の都市計画として進められますが、事業者が「素案」として示した図書に、貿易センタービル再生や浜松町駅再生にともない同時に立ち現れる「旧芝離宮庭園」の新しい姿が描かれています(⇒資料2)。

 

「その時々の時流に流され、あるいは、単なる懐古の情だけに頼り、あるいは無思慮な破壊の愚をおかすことなく、百年の先を見通す目」でその姿が立ち現れるよう、願い、見守っていきたいと思います。

 

[資料]
1. 『旧芝離宮庭園整備計画』
2. 「都市再生特別地区」(素案の概要)

 

[関連記事]
都市探訪11 (1904年当時の姿)
都市探訪76 (解体前の貿易センタービル方面をみる)

 

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