ドバイ開墾(7) : 都市の歴史

新しいドバイばかりみていると、人間の欲望だけが際立って、「ネオリベラリズム都市」ドバイの烙印が押されてもしかたない状況です。9月2日に発売された『ドバイ<超>超高層都市 21世紀の建築論』(松葉一清・野呂一幸著、鹿島出版会)ではブックカバーに“天上の造形感覚を論ずる禁断の建築書。”と記されており、21世紀の先頭を猛スピードで走る「ドバイ」という都市の存在をどうとらえてよいのか、視点を定めるのに苦労している感じがします。
けれども歴史をさかのぼると、もとからこの地にあった「自由と寛容」の証や、砂漠の中の都市づくりの工夫が、幾重にも積み重なって見えてきます。現代はあまりにスピードが早いので、意識してそれを大切にしないと、自らのアイデンティティの危機に陥る恐怖も紙一重
アル・バスタキヤ地区は、オフィス開発などのために壊されてゆく歴史的地区の生き残りで、1989年にドバイ市がその残りの部分も壊す計画を発表した際、イギリスの建築家レイヤー・オッターがこの地区の保存と再生を訴え、当時のチャールズ皇太子に手紙を送ったところドバイ訪問が実現。ドバイ市を動かして、1990年代以降、オリジナルドバイの保存と再生がはじまります。

開発を逃れた最後の部分を再生しているため、まだ周囲から「浮いた」感じが否めませんが、ここまできたことに敬意を表したいと思います、、、というより、正直に表現すると、もし取り壊されていたらドバイとはどういうところだったかわからなくなっていたかもしれないと思うと、残されてよかったと嬉しく思います。
さらに入江の出口寄りのアル・シンダガ地区でも歴史的市街地再生作業が行われており、数年以内にはいくらかまとまった形でドバイのかつての暮らしぶりや、そこから抽出される、砂漠の中の都市で生きていく知恵がより明らかになっていくことが期待されます。

「古い建築や集合形式から新しいデザインが生まれるはず」という思いはいまだドバイではうまく実現していないと感じます。今あげた歴史的市街地に加えて、建て替ってはいるけれども問屋街やスークとして引き継がれている1960年代頃までの旧市街地(オールドドバイ)そのものもドバイらしい、活気にあふれた界隈で、「ニュードバイ」へと転換する以前の市街地形態にもっと学べるはずだと感じます。
なお、その「次」の時代の市街地は近隣住区風の空間構成となっているようにみえます。(4)で出てきた2つのマスタープランと突き合わせるなどすると、旧ドバイ⇒近代都市計画の受容⇒現代都市計画への転換という3段階の流れ、あるいは「オリジナルドバイ」も入れて4段階の流れがつかめるかもしれません。