『なぜ近代は繁栄したのか』

1つ前の『2050 日本復活』では日本(のもつ潜在力)を良く知る著者があえて日本の現状に苦言を呈し、それを、日本経済が破綻した先の復活のシナリオを描くという形で示した1941年生まれの70歳代の論客による議論だったのに対して、この書は、1933年生まれの80歳代(原書の発行が2013年なので執筆時はまだ70歳代だったと思われる)のマクロ経済学者(2006年ノーベル経済学賞受賞)による近代市場経済論です。
両者に共通するのは、このところ目立ったイノベーションがみられない、あるいはそれどころか先進国全体に今後のイノベーションのネタが無くなっており経済成長もままならず、いったい世界はどうなってしまうのよ、しっかりせいよ、という苛立ちというか焦燥感が先立ち、それを日本経済の復活(前者)、草の根イノベーションへの期待(本書)の形で示した労作という点です。前者はより経済的側面が強く東洋経済新報社から、本書は人文的要素が強調されみすず書房から発行されています。
エドマンド・S・フェルプス著、みすず書房2016.6.10発行、副題が「草の根が生みだすイノベーション」。原著は「MASS FLOURISHING」、副題が「How Grassroots Innovation Created Jobs, Challenges, and Change」、Princeton University Press,2013。

「近代はなぜ繁栄したか」と問われれば、産業革命が起こり多くのイノベーションによってそれまでとは比較にならないほどの生産をあげられるようになり、人間は労働にしばられない自由時間が増えて豊かになったのだ、などと答えてしまいそうですが、それではバツ
本書の紹介文によれば、「近代の繁栄の源泉は、挑戦、自己表現、人間的成長といった個人主義に裏付けられた価値観の誕生と、そこから湧き出る大衆のイノベーション・プロセスへの参画にあるとする」新たな≪近代経済≫論とされます。
しかし、そもそも「イギリスとアメリカを皮切りに始まった一連の近代経済は、ドイツを最後にいきなり終わったと考えられる」。日本は「蚊帳の外に置かれた」。(こうした国では)「確たる証拠があるわけではないが、パイオニアから提供された新製品に追いつこうと努力した結果が発展をもたらしたとも考えられる」(以上、p165)。日本はこの書で批判される「コーポラティズム」の国で、この「コーポラティズム」が今やヨーロッパ諸国ばかりでなくアメリカの政治経済システムの中に浸透してしまった結果、イノベーションが起こりにくくなっているのである、とするこの議論は、かなりの部分、1つ前の『2050 日本復活』の議論と重なるものです。

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