『(地図)浪花の繁栄』『(地図)近代都市の構築』(大阪と都市イノベーション(その2))

大坂を特集していると一瞬思った『秀吉の普請』(季刊大林No57)が京都の特集だったこともあり(⇒関連記事)、今度大阪にいったら是非そのあたりをと思っているとたまたま大阪に行く機会ができたので、その日の夕刻、インバウンドで一気に増えたといわれる外国人にはさまれながら大阪城に登ってきました。NHK大河ドラマ真田丸大坂の陣がはじまったこともあってか(??)、かなりのにぎわい。
秀吉による大坂の普請は、大坂の陣を境に徳川政権で改造され市街地も拡大。これが400年前。

『(地図)浪花の繁栄』は、財団法人大阪都市協会(当時)が発行した縮尺1万分の1の地図で、19世紀初頭の大坂の様子が現在の地形図に重ねられてよくわかります。今から200年ほど前のこと。まだ「大坂」の範囲は“三郷”と呼ばれた範囲にとどまり、南は道頓堀川付近までとなっています。土佐堀に沿って立ち並ぶ各藩の蔵屋敷の表記が圧巻です。有力町人の立地を示すマル印も、一般の地図には無い表記で興味深いです。近代以前の大坂の都市計画がいかに整然と計画的になされたかがよくわかります。
『(地図)近代都市の構築』は、大阪都市協会(当時)が発行した縮尺12500分の1の地図で、大正10年代の大阪。おおざっぱにみると、市街地は現在の大阪環状線のあたりまで拡大しています。よく見ると、「学校」という大きな敷地をもつカテゴリーがこの範囲を越えて先行的に当時の郊外に拡大していく様子も感じ取れます。この地図の副題が「大大阪の生活と文化」となっているように、凡例も「寄席」「風呂屋」などというように生活感があふれています。この頃がおよそ100年前。

そして現在。上記2つの地図を発行した「大阪都市協会」は解散させられ、その後(の一部の機能)を継いだと思われる「大阪市都市工学情報センター」も最近解散したようです。さらに、もしやと思い調べてみると、1925年に関一(当時の大阪市長。御堂筋を拡幅。大阪都市協会の創設者)が創刊した雑誌『都市問題研究』も2012年春号にて終刊していました。

[関連記事]
・『秀吉の普請』(都市イノベーション開墾 第72話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160912/1473662656

[大阪と都市イノベーション]
大阪駅の第九(都市イノベーション読本 第78話)=本日より、「大阪と都市イノベーション(その1)」とします。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130122/1358861442